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2007年3月 Archive

歴史を学ぶ

小学校の歴史の授業がよほどおもしろかったのか、中学高校に行くと興味はさらに広がり、伝記、古典文学、司馬遼太郎と、歴史に関する本をかたっぱしから読んでいった。授業中私の頭の中は、平安時代は闇に十二単の衣擦れの音、戦国時代は軍馬が怒涛のごとく走り、江戸時代は粋な江戸っ子が店屋をひやかしながら歩いている・・・なんて歴史の登場人物が躍動していた。教科書は言ってみれば、単にごちゃごちゃ入っている知識を順序だてて整理する役割。だが不思議なのは、明治維新あたりまでは授業で丁寧にやっていくのに、そのあとは猛スピードで教科書をめくるだけ。「試験に出すので読んでおくように・・・」

明治・大正・昭和の近現代史の生き証人は私の周りにたくさんいて、話をよく聞かされた。父は2.26事変の日、雪がつもった小学校に行く道で憲兵さんに呼び止められ、今日は学校はお休みになるから、おうちで静かに過ごしなさいと言われたそうだ。関東大震災のとき、ピアノの先生はグランドピアノの下に入って助かった。日露戦争のことはかすかながら祖父が覚えていた。

試験勉強で"字ずら”で覚えたことはすぐ忘れてしまう。教科書の一文を削除したぐらいで事実は変わらない。それより”修学旅行”と称してスキーやディズニーランドにいくのなんかやめて、沖縄のお年寄りにお話聞かせてもらったほうがずっといいよ。

あらんだまにゃんこ登場

このブログを、ずずずいーっと下にスクロールしていただきますと、右側に、私あらんだまおばさんのにゃんこバージョンの登場です。

さーふぁーゆうちゃんに私の写真を渡し、イラスト化してと頼んで出かけました。戻ってきたら「ふたつ考えて見たんですけど・・・」と見せられたのが、着物姿とねこ姿の私。どっちがいいですか?といわれてもねえ・・・。おばさんだからかわいくなくていいんだけどさあ、ふてぶてしいのと間抜けがミックスしていて、なんともアンバランス・・・「ねこにするわいっ!」

次作るときは、ゴージャスなお姫様にしてちょうだいっ!!
2007年4月のおばさん

告知

朝の連ドラ『芋たこなんきん』が佳境に入ってきた。かもかのおっちゃんの肺ガンを医者はまちこさんに告げ、まちこさんは夫に、人生最大の敵と共に戦おうと宣言する。

舅のすい臓ガンがわかったときは、すでに末期だった。医者は子供たちには告げたが、本人と姑には内緒にすることにした。一心同体の夫婦なので、もし姑に告げたら、ふたりとも崩れてしまうことを懸念したからだ。
「じーちゃんは肺気腫が悪くなってきているのと、胃がね、よくないんだって。だからしばらく入院してくださいって」・・・舅は本で自分の症状を調べたらしいが、なんせ太陽のような自分の女房が「な~におっしゃるんですかっ!」と元気よく全否定するのだから、それ以上言わず、毎日、ふたり手を握り合って病室で過ごしていたという。

葬儀場の控え室で、姑は「あんた、じーちゃんがガンだって知ってたの?」と私の目をじっと見つめ聞いた。まわりに誰もいなかった。「うん」「・・・ありがとね、知らせてくれなくって。もし知ってしまったら、私がんばれなかったわ・・・」・・・嘘をずーっと突き通してきたこと、正しかった・・・。

小学校の帰り道

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月28日 07:40
  • 思い出

小学校へは山手線大塚駅で降り、当時東京を縦横無尽に走っていた都電に乗り換えて通っていた。都電沿線には幼稚園から大学までたくさんの学校が並んでいたので、電車の中は、様々な制服を着た子供が朝も夕方もぎゅーぎゅー詰めだった。

小学校3年生ぐらいになると、帰り道、都電を大塚駅で降りると、友達と連なってそのまま駅前商店街に入っていく。道順はいつも同じ。甘くおいしそうなにおいを放っているドラ焼きやさんの実演を一通りながめ、パッチン止めの売っている雑貨屋さんの前を通り、ひょうたんもなかやおせんべいの入っているガラスのビンをさわり、小さな映画館が何をやっているかチェックし、やおやさん、さかなやさん、にくやさん、かんぶつやさん、くだものやさん、さかやさん・・・そして、今でもある都電荒川線の線路に出る。
線路の下は大小さまざまな石が敷かれていて、私たちにとっては宝石の山だった。きれいな石をその中から見つけ出す。毎日やっているのに、”宝石”は減らなかった。「危ないからやめなさい」と言われたこともなかった。
制服のポケットを石で膨らませたら、山手線大塚駅の改札に向かう。改札には駅員さんが切符切のはさみをもって構えていて、楕円の改札の台には”きりかす”がたくさん落ちている。駅員さんの「おかえり」に、にこっと笑いながらランドセルからぶら下がっている定期券を見せ、切符のきりかすを”頂戴”し、小銭入れに入れる。次の日には母に石もきりかすも全部捨てられているのに・・・。

山手線で一駅。降りたら友達と三々五々分かれていって、ようやく家にたどりつく。
「ただいまあ」「おかえり。手を洗っておやつたべなさ~い」「は~い」・・・40年も昔のことになってしまった・・・

価格を決める

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月27日 08:11
  • 仕事

以前保険の代理店をしている友人に「値段の決まっているのを売るのっていいね」と言ったことがある。うちの会社の仕事は価格の目安はあるものの、多くはケースバイケース。高いだの安いだの、そこに楽しみを見出せる人はいいが、私の場合は胃が痛くなる。
日本茶屋の旦那さまと価格の話になったとき、「お茶の価格もいろいろなのです」と言われ、なんかちょっと目からうろこだった。
きょうもこれからあるジョブの価格をださなくてはいけない。お互い納得する仕事と信頼、そして根拠のある適正価格・・・さてはじめるか・・・。

紅色の椿

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月26日 12:41
  • 田舎暮らし

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うちの庭では、うす桃色と紅色の椿が咲いている。最近はずいぶん花が少なくなったが、それでも色気の寂しい晩冬で、暖かい風情がうれしい。
私は、紅色の椿の蕾が大好きだ。雨粒型にまあるく閉じた蕾はなんともいえない気品がただよう。そして、咲いた花がぽてと落ちたあとの花の”がく”がまた好きだ。うす緑色の”がく”に紅色がにじんでいて、まだ蕾があるかのように見える。だから、花瓶に飾った椿の花が落ちてもそのままにしている。
えっ?トイレの花瓶、だからそのまんまなのって?そうなのよ。不精して片付けないんじゃないんだけどな・・・。DSCF0884.jpg

西都原のアイスクリーム

雨の西都原
宮崎県西都市にある西都原古墳群の菜の花畑は、今満開の時期をむかえています。まだ桜は少し早いですが、後1週間もすれば、菜の花の黄色と緑、桜の桃色、青い空・・・ためいきが出るような美しい季節になります。この期間中、西都原の一角にあるこのはな館では、イベントが開かれ、いろいろなお店がでます。
そのひとつが、もりのふうさんの"森のふうちゃんのあいすくりんくりん”。お腹の大きい彼女のお姉さんが売り子さんでがんばって、肝心のご本人は作り方に専念です。土曜日販売されていた”いちごのアイスクリーム”もおいしかったけど、ちょっと試食させていただいたシャーベットのおいしさにはびっくり!なんていうか・・・凛とした大人の美しい味わい・・・かな。ホテルのレストランのディナのデザートでもOKって感じ。
春休み、ご家族で西都原へお出かけください!

田植えが始まる

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月24日 10:57
  • 田舎暮らし

田植え
子供のころ、『田植えは6月の梅雨の時期』とおそわったが、ここ宮崎では、春のお彼岸が田植えの開始となる。台風が来る前に刈入れできるよう、超早場米の苗だ。今日は雨の中、あちこちでトラクターが出ていた。
隣家のおばの話では、昔は田植えは手植え。近所総出で手伝って、昼弁当は近くの温泉旅館の賄いさんが届けてくれた。労働はたいへんだったが、わくわくするようなイベントだったらしい。
これから一段と蛙の合唱がにぎやかになり、よもぎもちを食べながら、花見をする。宮崎の春は本番を迎えます。

ホームページの基本

よれよれながら、さとちゃんパパの努力で、MTで作ったわが社のホームページが形となりつつある。
次は、練り上げていかなくてはいけない。

ホームページの基礎体力は
1、毎日更新
2、登録(yahoo、google、DMOZ)
3、ページ数 100以上
4、被リンク 1000以上
5、ブログ
と教えられた。まだ3つぐらいしかクリアしていない・・・。

ともかく検索エンジンにひっかかり、上位にランクされ、人目につくようにするための基本だ。
しかし、その前にまだしなくてはいけないことがある。『ネットを介してできることを選別する』

いくつもいくつも山を越えた後、きっと新しい世界が待っているはず。がんばっている仲間のブログに励まされ、やらんばならん!

映画『ベルサイユのバラ』の悲劇

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月22日 07:42
  • 思い出

漫画をあまり読まない私が高校時代夢中になったのが『ベルサイユのバラ』.。主人公はマリー・アントワネット、フェルゼン、オスカル、アンドレの4人だが、知る限り同級生はオスカル、アンドレ以外は興味がなかった。
宝塚で『ベルサイユのバラ』が公演されたのもこのころ。お金のない高校生は当然テレビ観演となる。テレビにへばりつくようにして見たが、なんか違うのだ。男装の麗人は宝塚にうってつけの演目だが、歌も踊りもない”まっとうな”『ベルバラ』が見たかった。

・・・すると、外国人俳優を起用して映画が作られるというではないか!映画雑誌『スクリーン』など読み漁って、手分けして情報を仕入れた。勉強の調べ物となると腰が重くなるが、こういうのは実にフットワークがいい。オスカル役の女優さんは初めて見る人だった。綺麗だけどインパクトに欠けた。衣装つければきっと違うさ。アンドレ役の俳優さんも見たことない人。どの角度から見てもハンサムだけど、ありきたりのハンサム。でも演技力は選ばれたくらいだから大丈夫だろう。
この長い話をどう縮めるのか、まるで監督や脚本家になったように皆喧々諤々、真剣に”討議”をした。
テレビでプレミアが放映された。見終えて出てくる人の感動の言葉や涙、原作者池田理代子さんの賛辞、絶対見に行かなくてはいけない!
日曜日の午前中、都合のついた同級生10人ほど、チケットの前売りを手に、池袋サンシャイン近くの映画館に勇んで行った。すでにそこには、同じ年頃の女の子がわいわいつめかけていた。期待に胸をふくらませ、いざ、館内へ!

・・・・・・・・エンディングのタイトルロールもそこそこに、私たちは映画館を後にした。ただ、だまって歩いて・・・「じゃあねえ、バイバ~イ」・・・その後2度と映画『ベルバラ』の話をすることはなかった・・・。

皆心の中で思っていたこと・・・よくあんなストーリーで原作者は許したねっ!プレミアから出てきた人は”桜だったんじゃないのっ!あんな貧弱なオスカルでどうするっ!おまけにぺろっとヌードになんかなっちゃって!なにさっ!!

ふるやのもり

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月21日 10:08
  • 田舎暮らし

お疲れくろすけくん
春麗らかなある朝、種まきをしようと長靴を履いて畑に出た。スコップ、鍬、白い大きめの買い物袋に入れた種、バケツ、竹など、いつもの道具を地面に置き、土を整え始めた。「なにしてんの?」とくろすけくんとちゃぼちんがやってきた。体を私におしつけたり、わざと土をおこしているところに入り込んでじゃまをしたり、ころんところがったり・・・あ~あ、まっいいか・・・
さあ~っと心地よく春風が吹き、種の入ったビニール袋をふくらました。何が入っているんだろう・・・くろすけくんは鼻を入れ、臭いをかいだ。結構おっきんだ。入っちゃお。入ったとたん、ガサっと音がした。びっくりしたくろすけくんがバックすると、ちょうどビニール袋の持つところが首にひっかかって、またガサっと音がした。バックするのをやめ、足を前に踏み出した。それがまずかった。がっちり彼の首にビニール袋がセットされてしまったのだ。
いかん!と思ったのは私。捕まえてはずそうとしたが、長靴を履いた足は思うように動かない。あっというまに、彼は脱兎のごとく走り出した。背中に旗めく、空気をいっぱいにはらんだビニール袋。ガサガサガサガサ・・・。得たいの知れない怖いものが背中にとりつき、振り払おうと走っても走ってもガサガサガサガサ・・・。恐怖で目は飛び出し、耳はぴたっと頭にへばりついている。超特急で畑を横切り、家の床下を通り抜け、土手を下り、田んぼを一回りし、やがて山の中に入ってしまった・・・。

もし木の枝にビニール袋がひっかかり、くろすけくんが首吊りになったらどうしよう。大声で夫を呼び、隣家のおじおばも動員して必死で探し回った。・・・昼になっても見つからない・・・ちゃぼちんにも探しに行かせたが、すぐ帰ってきた。たよりにならん。
・・・3時、近所のおばさんと会った。「くろすけ?さっきおったよ」生きていたんだ。ちょっとほっとする。「首んところになんかつけてたよ」まだビニール袋くっついているんだ。
・・・5時、何も手につかなかった一日が暮れかけたころ、パタンと猫ドアが開いて、黒い頭が入ってきた。ドアの脇に小首をかしげ、申し訳なさそうにちんまり座ったくろすけくんの首には、さながらお地蔵さんの前掛けのように、小さくなったビニール袋がかかっていた・・・。

ライフプラン

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月20日 16:06
  • 仕事

経営者の勉強会で講師が「5年後、10年後、15年後・・・30年後とライフプランをたててみましょう」と提案され、年頭に作成されたご自分のライフプランをスクリーンに映した。カテゴリーは個人(本人)、会社、家庭の3つにわかれ、ゴールを定め、逆算していつ何をすべきかを決める。企業でいう”中期経営計画”の自分版というところか・・・。
隣に座っていた私と同年輩の女性経営者が「あらんだまさん、私たち、30年後なんて考えられないわよねえ」・・・そのとおり!

30年どころか、この10年後だってどうなるかわからないのだ。それは両親や姑含め、私たちの手を必要としている高齢者の皆様方の”でかた”。今のところ、おかげさまで皆元気だが、どこか一角が崩れたら、たぶん、どどどどどど~と”津波”が襲ってくる予感がする。そしてへたすると、こちらが心身共にぼろぼろになりそうな・・・。

40歳前までは”波乱万丈それがどうした人生さっ”と、自分中心、何があっても怯むことなく人生を謳歌していた。が、それは本当の意味での”本番”ではなかったと思う。あと10年もしたら、ソフトランディングも考えなくてはいけないだろう。滑走路をどこにするか、乗り継ぎはどうするのか、メンテナンスはどうするのか・・・。はてさて、私のライフプランはいかに・・・。

ピアノのおけいこ

ピアノ
4歳の私の手をひっぱり、母は巣鴨地蔵通り商店街の近くのバレー教室に連れて行った。将来のバレリーナ誕生を母は密かに期待していたが、娘の体が硬いことがわかり、あえなく挫折。めげずにピアノ教室に鞍替えした。
ピアノの先生のお宅は当時珍しい瀟洒な洋館で、純日本家屋の我が家とは、調度品から雰囲気から照明まで全然違っていた。きりっとした眉の先生は子供心にもあこがれた。ピアノは祖父母が買ってくれた。レッスンは母がつきそい、私が弾いている後ろでメモをとりながら、真剣に先生の話を聞いている。帰ると、びっちりつきっきりで毎日娘に教える。ピアノの練習はきらいじゃないのに、母の口出しがうっとうしくてたまらなかった。
「そんなに言うなら、自分で弾いてみせてよ」ある日とうとう言った。マニキュアつけた長い爪の指では、どうやっても弾けないこと知っていて言った。「勝手にしなさいっ!もう知らないからっ!」やったあ・・・

傍に着ききりの呪縛からは開放されたが、専業主婦の耳はいつも聞いている。音がよどみなく流れていると母は安心した。運指の練習は毎日するので、いつの間にか教本1冊覚えてしまう。読みたい本がピアノの練習で読めなくなるのがいやで、譜面台に本を置いて、読みながら弾くことを覚えた。指は勝手に動く。音は途絶えることなく聞こえる。本はどんどん読める・・・。が、やっぱり見つかった。「まじめにやりなさいっ!」・・・ちゃんと弾いているのに・・・ナルニア国物語を取り上げられた。

『芸は身を助く』とはよくいったもので、音大こそ行かなかったが、結婚してから”てなぐさみ程度”とピアノ教室を開いたら、どんどん口コミで生徒が増え、グループレッスンも加えたら、生徒がいつのまにか100人を超えてしまった。すると、あんなに楽しかったピアノが、私自身が磨り減っていって、全然楽しくなくなってしまったのだ。疲れてクラシック音楽も聴けなくなっていた。・・・夫が起業するのを契機に、廃業した。

宮崎に引っ越すとき、祖父母に買ってもらったピアノも手放した。「そのうちグランドピアノ、買ってやる」夫の言葉は本当とも思えなかったが、まあそうなったらいいかなぐらいなものだった。
宮崎に移って5年ぐらいして、ひょんなことから、ご近所の人から子供ふたりにピアノを教えてほしいと言われた。ピアノも持っていない。すでにやめてから10年ぐらいの歳月が流れていた。指も動かないし、教え方も忘れている。第一、本業があって時間がとれない。・・・しかし、断りきれず、引き受けた。

中古のアップライトピアノを買い、おそるおそる教え始めたら・・・できるのだ。何十年も体で覚えたことは忘れていなかった。パソコン毎日たたいているので、指も思った以上に動いた。溢れるように教えなくてはいけないことが出てくる。楽しい時間ができた。二人がくる土曜日の早朝はわくわく。

今年に入って、なんとなく子供たちの進度がにぶってきた。なぜだろう・・・。彼女たちは電気ピアノで練習をしているため、表現うんぬんになってくると、練習しきれなくなるのだ。・・・で決めた。このアップライトをあの子達にあげよう。どうせ彼女たちの月謝で”もと”とったし。そして、私はグランドピアノを買おう。きっと私の人生最後の大きな買い物になるだろうけど、数年後、しゃかりきになって、子供たちとショパンやリストを練習しているって、ステキじゃない!そして、私にピアノを教えてくださった先生方のような、ステキなおばあちゃんになるんだ!

お金で買えない大切なもの

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月16日 08:19
  • 仕事

以前、経営者の講習会の後の会合で、講師に「あらんだまさんにとって、一番嬉しいと思うことは何?大もうけしたとき?ほしいものを手にいれたとき?おいしいレストランで食事したとき?ひとりでくつろぐとき?」・・・私の心に思い浮かんだのは、たったひとつ「周りの人の喜ぶ顔を見たとき」講師はにっこりされ「それがわかっていれば大丈夫」とおっしゃった。

学生時代から老荘思想の”知足”に大いに共感し、物欲も乏しく、研究室で古文書を紐解く生活を夢見たくらいだから、元来経営者向きではないのだ。でもそんなこと言っていられない。”黒字で存続し続ける”が経営の鉄則だし、”家族”である従業員を”養っていく”のが経営者としての務めだ。
当然、専業主婦してたら会えないような方とお目にかかって、”きちんと”お話をしなくてはいけない場面や、よかれと思ってやったり言ったりしたことが、どーんと大きな矢になって私に向かってくることも多々ある。
昔は結構くさって八つ当たりもしていたが、あるときを期に”私に気づかせてくれる言葉や人こそ、お金で買えない大切なもの”と思うようになった。

『周りの人の喜ぶ顔を見たさ』と老子の『上善は水の如し』とがすり合わせがきかないのは、まだまだ修行がたらんということだな・・・。

孤独死

静岡に住む大学時代の友人から20年ぶりで電話がきた。岩手に帰った同級生がここ1年半ぐらい連絡がとれない。休みを取って行ってみたら、家は朽ち果て、誰も住んでいない。近所の人に聞いたら、平成17年8月31日”ぐらい”に亡くなったという。「その、”ぐらい”って何?」一人暮らしで誰も気がつかず、死後何日かして発見されたという。親を看取り、結婚もせず、糖尿・ガンを併発し、暑いさなか、ひとり誰にも気づかれずに亡くなっていった後輩のあまりの無残さに、夫は号泣した。

2年前、年賀状のやりとりも途絶えていたのに、突然岩手のりんごを1箱送ってきた。「昔世話になったから食べてください」と電話をしてきた彼の声は、およそ”死”とは無縁だった。「私たちになんかお金使わなくていいから、大事にためて。年賀状ちょうだいね」でも、年賀状は来なかった・・・。

先日、若い男女が向き合った状態での白骨が、6000年ぶりに発掘されたと報道していた。6000年もの間、地中深くで愛を語らってきたのだろうか。私も願わくば、そうありたい。隣で画面を見つめていた夫の横顔も、そう言っていた。

コメント受付OKです!

このブログにコメントが入れられないとメールを今朝いただいた。さとちゃんパパが悪戦苦闘したが、なかなかうまくいかない。
困ったときは宮崎商工会議所のKさん。「ヘルプっ!

福岡出張にもかかわらず、すぐお返事が返ってきた。「mt-comments.cgiファイルがないか、パーミッションが適切でないかと思われます」・・・直りました。コメント受付OKになりました。

Kさん、さとちゃんパパと私から、ありがとうございました!

次は、gooでそのままにしてある、ブログにいただいたコメントをこちらにぺとぺとしなくちゃ。

空弁のたのしみ

空弁
宮崎に帰る便はたいてい夕方か夜なので、家にたどり着いて夕飯の支度をしなくていいように、羽田で空弁を買う。先日は羽田に”駆け込み乗車”ではなかったので、ゆっくり空弁コーナーを見て回る時間がとれた。
機内で手ごろに食べられる、おにぎり系のものから、ゴージャスな懐石系まで、目まで楽しませてくれる。笹の葉ずしはひとつひとつ包んであるので、夜小腹が減った時間に持っていく土産としても、けっこう喜ばれる。
散々迷って今回は”観劇弁当”にした。歌舞伎の幕間に大食堂で食べるような、ちょっと”イキ”な取り合わせが気に入った。さて、あとは飛行機に乗るだけと、ゲートに向かってとことこ歩いていたら、またちっちゃく空弁コーナー。また覗いてしまった。そしたら・・・
『えんがわずし』宮城・南三陸女川というのがひとつ、さりげなく置いてある。思わず立ち止まってしまった。『カレイのえんがわ』もさぞやおいしかろう。それにもまして宮城県女川は、以前プラント関係の仕事で何度か足を運んだことのある懐かしい地名なのだ。どうしよっかな・・・えんがわずしが”買ってえ、買ってえ”と言っている(と聞こえた)・・・え~い、かっちゃえ!

帰宅して食卓にセットし、一応ブログ用に写真をとっておくかと思ったら、こういうときに限ってデジカメがない。ケータイで撮ったので、なんかぼーっと映っています。が、味は・・・ぐ~っ!

昨日MTでブログをアップしたのですが、コメントを入れようとしたら入らないとメールをいただいています。コメント入れてくださろうとした皆さん、ごめんなさい。さとちゃんパパ、なんとかしてっ!!

このブログ、MTデビュー

MT参考図書
よろよろながら、わが社のホームページが形になりつつある。この”あらんだまおばさんの元気日記”の本体部分をMTバージョンにコピー&ペーストは終わった。とりあえず、本日MTデビューに踏み切ることにして、商工会議所K氏にポータルサイトコミュニティーの変更をお願いした。


あらんだまおばさんの元気日記 MTバージョン

http://www.td-sys.com/obasandiary/

いままでお読みの皆さん、お手数ですが、上記のアドレスに変更をお願いいたします。

さて、MTでホームページ作りはなかなか難しいらしい。”らしい”というのは、私は言うばっかりで、実作業はさとちゃんパパにおまかせだから。彼のつぶやきから判断するに、手ごわいらしい。

ちなみに使っている参考図書は、研修会で配られた『Movable Type 標準バンドブック』(平田大治・関根元和共著 インプレスジャパン)の他、『Dr.BlogのMobable Type スタイルデザイン&テンプレート集』(フィールド著 ソーテック社)『Movable Type 上級カスタマイズ術』(藤本壱著 技術評論社)『ビジネスブログ・テンプレートブック』(中村義和著 翔泳社)

MTと格闘している方たちのためにも、これは!という情報は引き続き載せていきたい。

宮崎のみやげ

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月10日 16:14
  • 仕事

火曜日から木曜日まで打合せで上京した。客へのみやげは、今回はちょっと気合が入っている。というのも、”宮崎から来る”ということは相手は興味しんしんなのだ。

「知事がね、県外に出るときは、おみやげを持って行って宮崎を宣伝してきてくださいっていうのよ。県民総力戦で盛り上げていきましょうって」と言いながらみやげを渡すと、どの人も、おもしろそうに話にのってきた。知事のこと、鳥インフルエンザのこと、野球のキャンプのこと、私よりよほど宮崎のことをよく知っている。それだけ全国放送になっているということか・・・。

地鶏は意外に”意外な味”と思ったひとが多かった。やわらかいケンタッキーなんかに慣れているからかな。桜色のハンカチは好評だったけど、どこにでもありそうなかんじだ。大勢のところはマンゴーキャンディがうけた。”宮崎産”と書いてあるのがいいらしい。焼酎は20度をもっていくと、地元のだと喜ばれる。かるかんはかぼちゃあんこが宮崎のかんじがするらしい。つぼ漬けは主婦うけする。マスクで顔の3分の2も覆っている花粉症のひとにはもちろん、べにふうき。どれも、知事の”おでこシール”でも作って貼ったら、もっと売れると(うけると)思うな。

たった3日間なのに、行きの荷物の重かったことよ。
宮崎商工会議所旗振り隊長とお皿かかえのKさんへ あらんだまおばさん、個人的にかってでた”宮崎宣伝特使”の任務、無事終了してきましたっ!

文章を書くむずかしさ

gooで書いているこのブログを、MTで作った我が社のホームページ内の”あらんだまおばさんの元気日記”にペーストしている。時間をおいたこともあり、読み返してみるとなんか変だなと思うところもあって、少し手直しをしながら作業をしている。

子供のときから日記なんてものは続いたためしがない。でも、映画や本を読むと感想を思いのままつづっていた。誰の目に触れることもないので好き勝手に、絶賛されてる作品も、自分の目で確かめて駄作だと思ったら駄作。
しかし、ブログやコメントは本当にむずかしい。何がむずかしいか・・・万人に読まれる前提の上での、読み手との距離のような気がする。一人よがりになっていないか。読んだ人がその情景思い浮かべることができるか。こちらの思っていることがストレートに伝わっているか。調子にのって書いたり、的はずれなこと書いて後で、しまった!と、くよくよしたりすることもある。

会って話したり、電話や自筆の手紙のように、生身の自分が見せられない活字の”私”をどう表現していくか、悩みは尽きない。

トップページの作り

ホームページのトップページをどうするか。
肝心な”h1の言葉”がなかなか決められない。さーふぁーゆうちゃんに解析ログで検索をしてもらったが、いまいちぱっとした”えさ”の感じではない。

他のひとはどうしているんだろう、初めて思った。で、見て回った。すみいちさん、日本茶屋の旦那さま、工具やの娘さん、赤ちゃん堂さん、宮崎のバードマンさん、みえーるさん、まつい店長、やいちんさん、厨房やの女房殿、もりのふうさん、ヒカリねーさん、リモデ屋さん、はちみつのまちゃさん、ほんもの店長さん、キッチンツールさん、桐の蔵さん、畳屋さん、開運社さん、ガビーヘアさん、あおしま市の店長さん、風林火山、磨き屋シンジケート、吉備きびスクエアなどのポータルサイト、もちろん加藤先生のところも。

自社のホームページの参考にしたくて見て回ったのに、人のところのは、あ~れ~なんか変だななんて、余計なところに目がいってしまう。

肝心の自分のところのは、そんなことで迷っているのと言われるかもしれないが、h1の文言の中に社名を最初に入れるのか、最後に入れるのか。お気に入りに入れたとき長すぎるのはなんか気に食わない(さとちゃんパパ)。BtoBなんだから、もっと専門用語を入れたほうがいいんじゃないか。立て続けにあったIT研修会に、さとちゃんパパとさーふぁーゆちゃんに行ってもらって、別の目で見て考えてもらったのは正解だった。

最近はDWで作った人の話がブログで見かける。どうやったんだろう。今までとどう違うのだろう。やればやるほど知りたいこと、いっぱい出てきた。また勉強会で意見交換をしてみたい。

いとしの中国茶

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先週、夜、近所のおばさんたちが我が家を訪ねてくることがあった。大抵は玄関先で用が済むのだが、せっかくだから上がってもらって、台所の食卓でおしゃべりが始まった。皆さん漬物やら果物やらお菓子やら持参で来るので、私が用意するのはお茶。先日美老園さんで求めた『中国工芸茶』を出すことにした。
やかんがしゅんしゅんいうほどお湯を沸かし、ガラスの耐熱ポットを食卓の真ん中に置く。おもむろに取り出した芙蓉の種のような、かさかさ乾いた実をコトンをポットに入れたら、おしゃべりがやんだ。何事が始まるのか・・・熱湯をポットに注ぐと、実がじわーっと開きだし、やがて中からみごとな水中花が咲いた。
「うわーっ!」「あらんだまっ!」「なんね、これっ!」あたりには芳醇なジャスミンの香りが漂う。「あらんだまさん、これ何?」みんな口々に聞いた。私は得意満面!「中国のお茶で工芸茶っていうの!」
飲んでもらったら「うわーっ!おいしいね」「こんなのあるんだ」「どこでうっちょっと(売ってるの)?」「おもしろいねえ」と肝心の話はそっちのけ、お茶の話で盛り上がって、皆さん深夜のご帰還となった。

15年ぐらい前、台湾に行って初めて本物の”烏龍茶”と出合った。日本茶にはない、官能的な美しい香りと心酔わせる甘さに魅了され、大枚はたいて取り寄せたりしたが、知る限り、身近で売っているところはなかった。
ところが、売っているところがあったのだ!それもすぐ近く!おまけに知っている方のお店!美老園さんだ!
2月のある土曜日、ふらっと尋ねていって”ひとりレクチャー”をしていただき、日本茶屋の旦那さまの博学なお話と懐かしい烏龍茶で、至福の時間を過ごすことができた。
中国茶のおいしさ、楽しさ、もっともっと多くの人に感じてほしいな。知らないなんてホントもったいない・・・。

たぬき1匹5万円

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月 3日 12:38
  • 田舎暮らし

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夕方玄関を開けたまま下駄箱の整理をしていた。だだだだだーっとくろすけくんが帰ってきた。当たり前のように白い玄関マットの上を泥足で踏んでいく。まったく!と思っていたら、ちゃぼちんが目の前を走り抜けた。耳とひげにくもの巣がひっかかっていた。どこで遊んできたやら・・・。と思っていたら、我が家のお姫様るんちゃんがちゃぼちんの後を追って駆け込んできた。まー珍しい、るんちゃんがお外で遊んでいたなんて。
「さてと」と立ち上がりかけたら、目の前を4匹目が通過した。4匹目?うちは3匹しかいないのに、えっ誰?「ちょちょちょっと、最後のひと、ストップ!ストップ!」”最後のひと”が振り返って私を見た・・・たぬき・・・

”うちの子供たち”が近所の牛小屋のわらの中で、たぬきと遊んでいるといううわさは聞いていたが、まさか我が家に連れて帰ってくるとは思わなかった。
「たぬきくん、今日はもう遅いからお家に帰りましょうね」白い玄関マットを脇にずらし通り道を作ると、しぶしぶ出て行った。しばらくして玄関をそーっと開けてみたら、なんか異様なにおいがする。たぬきくん、”置き土産”に大おしっこをしていった!それがくさいのなんのって!いったい何食べたらこういう臭いがでるのよっ!気絶しそうになった。

以前車に轢かれたたぬきを発見して、隣家のおじに報告したら「おーっ!」と言うなり飛び出していって、そのたぬきを持って帰ってきた。皮は剥ぎ、油と肉は薬になるそうだ。肉を焼いて毎日ちみちみ食べ(これがまたおもいっきり臭い!)1匹食べ終わるころは病気が治るので、たぬき1匹5万円の値がつくのだそうだ。救急車呼ぶことにならないのだろうか・・・。

”うちの子供”のお友達には”お薬”にはなってもらいたくはないが、あんまり一緒に遊ぶのもねえ・・・。それにしても、ねこたちも私たちもあやしげな病気に一切なったことないのがホントに不思議。免疫がものすごく強いのかな・・・。

卒園記念CD

  • Posted by: あらんだまおばさん
  • 2007年3月 2日 19:20
  • 仕事

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数年前、本業が暇になり、なんか別なことできないかというので思いついたのが、幼稚園や保育園の卒園記念のCD。データは写真や音声や画像で、園から送ってもらう。それを加工して、いろいろな素材と組み合わせてCDにおさめる。
メイン業務が設備設計と名うっているので異質な感じがするかもしれないが、データをパソコン上、あらゆるソフトを使って加工するという意味においては、なんら抵抗なく、それどころか楽しい作業で、毎年この時期は事務所に笑いが絶えない。

卒園記念CDは全員に配る全員版と、一人のお子さんだけのために作る個人版の2種類ある。普段聞いているBGMは止め、卒園CDの作業にあたっている者はもちろん、図面を描いていたり、他の仕事をしている者も皆、録音していただいたご家族や先生の声に耳を傾けている。歌あり、宣言あり、朗読あり、奇声あり、九九の読上げあり、涙ぐむ声あり・・・6年間どんなに大切にお子さんを育ててきたか、愛情が溢れ出ているのだ。

先生方にもかなり負担がかかるし、作業の手間も思った以上だ。でも卒園式が終わって、「作っていただいて本当によかった。ありがとうございました」という言葉を頂戴すると、また来年もやってみようと思うのだ。

すてきなメガネ

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メガネは小学校3年生からかけ始めた。両親は目を離して本を読みなさいと常々うるさく言っていたが、寝るときは毎晩本と懐中電灯をかかえてふとんにもぐりこみ、ギリシャ神話なんて厚ぼったい本読む。おまけに、目をつぶって手でまぶたの上からおさえると、きれいな色が見えるのが楽しくて何度もやっていたのだから、目が悪くならない訳がない。
当時、子供のメガネのフレームは赤か黒。脆い素材で出来ていたので、ドッジボールで顔面にボールをぶつけられると必ずどこかが破損した。セロテープで補修する程度ならまだいいが、悪くすると夜しまってる眼鏡屋さんのシャッターを開けてもらって作ってもらわなくてはならない。母は「申し訳ありません」と眼鏡屋さんには言いつつ、私には怖~い顔をしていた。

目は学年が進むにつれてどんどん悪くなり、メガネも厚ぼったくなって重くなる。クラスで人気のある女の子はもちろんメガネなんかかけていない。大きくなったらコンタクトレンズにするんだと心に誓っていた。
やがて、しゃれけも出てコンタクトに。だがパソコンを扱うようになったら、目が乾いてコンタクトは出来なくなってメガネに逆もどり。そのうち老眼が入ってきて、メガネをいくつも持たないと日常生活ができなくなった。

小さいころのトラウマからか、メガネは目立たないのが好きだが、昨今の傾向は、目が悪くなくともアクセサリーのような感覚でメガネをかけるし、フレームは目立つのが主流のような気がする。
20歳のとき初めて香港に行って、何を思ったか、サンローランの思いっきり派手なサングラスを買った。買ったときはまんざらではないと思ったが、日本に帰って鏡でみたら、まるで”マフィアのおねーさん”そのまんまお蔵入りした。

先日ITリーダー塾卒業生勉強会で、みえーるさんが販売しているメガネを持ってこられた。職人さん手作りの重量感あるフレームや、びょんびょん形が変わるものや、組み立て式のメガネや、もちろん今時のステキなサングラスや・・・。こんな傾向になってきているのだと、お話を聞いていて面白かった。眼鏡屋さんに行くと、あたふた買って帰るだけでじっくり見るような事もない(というよりメガネなしだと何も見えないので何があるかわからないの)。なんでも同じだけど、もっと多くの消費者に知らしめたらいいのに・・・。

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