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都於郡城跡

都於郡城跡
都於郡は”とのこおり”と読みます。

その昔、ここ一帯は伊東氏が治めていて、都於郡に城を築き、まわりには士族が住んでいたので士中。もう少し離れると、中間原という地名があり、身分による住み分けが想像できます。

天正遣欧少年使節団でヨーロッパに渡った少年伊東マンショは、伊東氏の一族。
郷土の誇りであり、地区の小学校では詳しく習うと聞きました。


さてその城のお祭りが、高台にあるこの城跡で11日にありました。

武者行列
メインイベントは恒例の都於郡小学校の子供たちの”武者行列”。
遠目には、とてもダンボールと紐で親が夜なべで作ったとは思えない鎧兜を、男の子も女の子も身につけ、「えいえい、お~!」と雄たけびを上げる様は、伊東氏の末裔にふさわしい(かな)

朝の9時から4時ぐらいまで、保育園の子供たちのお遊戯やカラオケ大会、四半的大会、出店、せんぐ撒き・・・。
天気がよかったことも幸いして、地区のたいせつな行事が無事、滞りなく終わりました。

この都於郡城の整備開発に、隣家のおじが作業員として携わったとき、不思議なことがおこりました。
土を掘り起こす作業をしていたおじの足だけが、勝手にばたばた動き出して、止まらなくなった!
踊るようにして家に戻ると、それを見たおばが、「こりゃぼくじゃ(たいへんだ)!」とお経を一心に唱えたら(医者に連れて行くのではなく)、ぴたっとやんだそうです。

この城は、実は、伊東氏がヒコホホデミノミコト(山幸彦)の陵墓を壊して造ったと謂れのあるところで、長い年月たっても、なんかがあっど、というのが、もっぱらの話。

伊東氏の墓は、この城から少し離れた木立に囲まれたところにあり、地区の班長が年2回お掃除に行きます。
夫と私が班長のときは、大きな台風が来た後で、大木が倒れたり、惨憺たるありさまでした。
いくつも墓石が並んでいるなか、ぽこっとなくなっているところがありました。
台風でころがったのかと思いきや、鹿児島に住む子孫が、トラックで持って行ったそうです。
残ったご先祖さまが寂しかろうに・・・。

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