Home > 神々のおりやるところ Archive

神々のおりやるところ Archive

鞍馬寺

鞍馬寺.jpg10月19日に書いた貴船神社にお参りしたあと、叡山電車の次の駅にある、鞍馬寺に行ったのに、ブログに載せるの、2週間以上たってしまった!

鞍馬寺、と聞いて何を連想するか。
言わずと知れた、源義経と鞍馬天狗。
おどろおどろしいところかと思いきや、晴れやかな秋空のもと、すっきりした寺院が山の中腹に建っていた。

阿吽の虎1.jpg阿吽の虎2.jpg出迎えてくれた狛犬は、犬ならぬ虎!

ご本尊である、三身を一体とする毘沙門天、千手観世音、護法魔王尊は、特に”天尊パワー”が強く、本殿前にある「金剛床」の中心は、エネルギーが湧き出るところ、つまりパワースポットなのだそうだ。

金剛床パワースポット.jpgもちろん、立って天を仰ぎ、たっぷり天のエネルギーを吸い込んできた、つもり。

はるか1200年以上も前から、京のみやこを、北から守り続けた鞍馬寺。
そこに住むと言われる山の精霊”天狗”と義経の魂は、今もこの界隈を、ひゅーひゅー飛び回っているのだろうか・・・


貴船神社

叡山電車.jpg貴船神社参道階段.jpg水占い.jpg貴船神社奥宮.jpg
あと1カ月遅く行ったら、みごとなもみじの紅葉が見られたであろう貴船神社。
ふらりと、おばと二人で行ったのだが、由緒を聞いて驚いた。

宮崎神宮に祭られている神武天皇の母上、タマヨリヒメノミコトが大阪湾に黄色い船にのって現れ、淀川・加茂川をさかのぼり、止めたところに神社をたてたという。

宮崎からどうして大阪へ、かは書かれていなかったが、たまたまお参りしたいと思った神社に、ゆかりを感じ、心地よく参拝をしてきた。

貴船はお水が豊か。水占いがあって、引いたおみくじを水に浸すと、字が現れる。
私は「中吉」
周りを見たら、なぜかみんな「中吉」
旅行 急ぐな、と書いてあったけど、日帰りなのよね・・・

ぽんと大きな神社が構えているのかと思ったら、川沿いに本宮、奥宮、結社とあって、その間に旅館や飲食店が軒を連ねる。
青葉のもみじも、紅葉のもみじも、雪の参道も、さぞや美しかろう。

なかなか美味だった湯葉丼をお昼に食べて、次は鞍馬へ・・・

雑司ヶ谷の鬼子母神

雑司ヶ谷の鬼子母神.jpg鬼子母神内の駄菓子屋.jpg日経新聞に「鬼子母神が守る駄菓子屋」の記事が載ったのは、5月ぐらいだったろうか。

初めてお参りしたのは、高校の時。
学校帰りに立ち寄ったあの駄菓子屋「上川口屋」のおばちゃんが、まだ健在だと記事は語っていた。

だから先日上京したとき、高校の友人たちと誘い合わせて、行ってみたのだ。
ビルが林のように立っている池袋から、少ししかはずれていないのに、その一角だけは、今も変わりなく、涼しげに木が生い茂る。

鬼子母神の、「鬼」の字には、ノがついていない。
夜叉の娘である鬼子母神は、人の子を食らっていたのをお釈迦さまにいさめられ、改心したことから、角(ノ)をとってもらったという。
だから、鬼子母神は、安産・子育ての神さま。
人の代わりに、ザクロをくらうようになったので、ハスではなくザクロが、祭壇に飾ってある。

記憶では、割と小さいお寺のような気がしていたが、なになに、ひれふするほど立派!
駄菓子屋さんも、おばちゃんも、もとのところにたたずんでいた。

雑司ヶ谷で、もうひとつ有名なのが、すすきみみずく。
すすきの穂でつくられた、みみずくの人形。
”ととろ”に、耳をつけたの、を想像していただくといいかもしれない。

母の病気が治るようにと、鬼子母神に毎日お参りをしていた娘へのお告げから、生まれたという。

一緒に行った同級生が、「孫ができたら、みみずく買ってあげるんだ」とつぶやいた。
そうよね、あれから40年近い歳月が流れたんだよね・・・

鵜戸神社

鵜戸神社.jpg「海の近くに、なかなか感じのいい神社あったんだよ。行ってみない?」

海ってどっちの海よ、と思ったけど、夫の“感じのよさ”を信じて、車に乗った。

目指したのは、高鍋方面、家から30分ぐらいか。
得意の「あ、行きすぎた」だの、細い道に入り込んだり・・・

このあたり、というあたりになると、あちこちで祭りの準備がされている。
「もしかして夏祭りなんじゃないの」
という先に、「ここここ」と夫が車を降りた。

屋台や電灯やステージの設えで、男の人たちがたくさん出ている。
神社右手奥には、日向灘が広がっている。
視線を下げると、温泉?施設がある。

私「なんて神社?」
夫「さあ?」
私「!」

あちこち見渡すと『鵜戸神社』
まさか?
いやいや『鵜戸神宮』ではなく『鵜戸神社』

拝殿には、立派なおみこしが、出番を待っている。
あとで知ったのだが、氏子が若者と年配者と二手にわかれ、みこしの「お宮入り」という勇壮な儀式があるそうだ。

御祭神は、山幸彦と豊玉姫のお子ウガヤフキアエズノミコト。
豊穣を祈願しているということか。

静かな時期に、また夫と来てみましょう・・・

豊国神社

桜吹雪の鴨川川筋.jpg宮崎は桜がすっかり散ったころ、京都は満開の時期を迎えていた。

ひとりふらりと船に乗って、大阪から山崎を経て京都へ。

京都はどこをみたいと決めていなかったが、
秀吉が山崎の合戦で光秀を打ち破ったあたりをみたものだから、それなら秀吉にちなみ
豊国神社にでも参ろうかと、てくてく花吹雪の鴨川川筋を、五条方面に向かって歩いていった。

豊国神社.jpg鳥居をくぐると、唐門がでん、と構えている。
国宝だそうだ。
見渡すと、ぶらさがっている絵馬は、ひょうたんの形。
なるほど!

いただいた御朱印には、五七桐。
槙本稲荷神社にもしっかり参拝をし、

これで、勝ちは、もらったな。

伏見稲荷大社

伏見稲荷大社きつね1.jpg伏見稲荷神社きつね2.jpg千本鳥居.jpg商売をやっている身としては、一度は行ってみたい神社が、伏見稲荷大社。全国津々浦々のおきつねさまの総本宮。
宮崎も古い神社が多いが、ここの起源は、今から1300年ぐらいさかのぼるらしい。

出迎える狛犬ならぬおきつねさまを一目見るなり、思い出した。
墨田区の三囲神社の主のおきつねさまと同じ面構え。眼光厳しく、眼力が空気をつたわってくる。
しっかりお参りしなくては、と心が引きしまった。

本殿でいつもより多めのお賽銭を入れ、千本鳥居をくぐっていくと、奥社奉拝所の奥に「おもかる石」という石がある。願いを念じて持ち上げた時、重さが予想していたより軽ければ願いが叶い、重ければその願いは叶わないという。

おもかる石.jpg私の順番の前のおばさんは、ひょいと持ち上げた。
ん?重そうに見えるけど、軽石でてきているのか?いやいや、お腹にぐっと力をいれて持ちあげると、けっこう腕にくる重量。
一緒に行ったおばは、ぜんぜんだめ。
並んでた若いお嬢さんたちも、無理無理。

願いは・・・持ちあがるかな、に集中していて、するの忘れた(一_一)。

帳面を持っていないので、お札を頂戴し、花蝋燭を買って、辻占お菓子をおみやげに。

今度来るときは、うちの神棚用に、小さい鳥居、買おうかな・・・

木花神社

木花神社.jpg木花神社より.jpg海幸彦、山幸彦のおかあさんであるコノハナサクヤヒメ(なんと美しい名でしょう!)が、御子を出産したと言われ祀られている神社は、ふたつある。

ひとつは西都市妻の都萬神社。
神話に書かれている逢初川も無戸室(うつむろ)跡も近辺にある。
宮崎恋旅のパワースポットにも選ばれているし、あそこで売っている神棚はお薦めだそうだ。

もうひとつが、宮崎市熊野の木花神社。
階段をかなりあがったところにあって、木花の運動総合公園が一望のもと、見渡せる。

眺めはいいのだが、神社そのものの有様は、都萬神社に比べると、かなりわびしい。

「あなたの子に決まっているじゃありませんかっ!」と、コノハナサクヤヒメがニニギノミコトに言ったかどうかはわからないが、疑われ産屋に火を放って出産したと神話に書かれている。
神さまの奥さんになるには、一本筋が通っていないといかんということか、なんて夕方の光のなかでぼんやり考えていた・・・

照葉大山神

照葉大山神.jpg宮崎県綾町の照葉大吊橋を渡りきり、石の階段を這うようによじ登った先に、
ちんまりと、照葉大山神と書かれた神社があった。

20人ほどで出掛けた、地区婦人会の日帰り研修(どこを研修したんだろう)で、
そこにたどり着いたのは、わずか4人(橋を渡らなかったのもおった!)

ひとりで参拝するときは、ゆっくり神社をひとめぐりして、祀られている神さまやら、周りの雰囲気も楽しむのだけど、騒がしいおばさんたちと一緒でしたので、断念。

熱心に中を眺めまわしていたひとが、女の神さまと男の神さまが祭られてるよ~と言っていた。

またゆっくり、夫と来ましょう・・・

大塚天祖神社

天祖神社.jpg山手線大塚駅は、小学校から中学校の9年間、通学の乗り換え駅だった。

小学校のころは、大塚駅から都電16番に乗って。
都電が廃止されてからは、錦糸町行きのバスに乗って。

この路線は、学校がたくさんならんでいるので、
大塚駅南口の商店街は、ランドセルやかばん持った、帰宅のこどもたちの恰好の寄り道街。
やおささん、にくやさん、さかなやさん、くだものやさん、アクセサリーやさん、洋服やさん・・・。

中でも一番人気は、どら焼きやさん。店頭で作っているのを、すずめのように並んで、背伸びをして、眺めるのが日課。
飽きもせず、買いもせず、毎日下校時にたむろする子供たちを、店主はどう思っていたのか。
しっしと追い払われた経験もないのは、来訪を楽しみにしていたのだろうか。

などを考えながら、何十年かぶりに訪れた大塚駅は、かなり様変わりをしていた。


商店街右手に、こんもりと木々が茂っている。
大塚天祖神社。
こんなところに神社があるなんて、知らなかった。

神殿は高いビルに囲まれ、裏手は都電の線路。
神社そのものは、たぶん私の子供時代と変わりがないのだろう。

朝の通勤の途中で、参拝して行く人の多いことよ。

今日の取引上手くいきますように。
今日も無事過ごせますように。
今日の会議がうまく進行しますように。

そんなこと御祭神のアマテラスオオミカミにお願いしていくのかな。

人がとぎれるまで、大きな一対のイチョウや、子供に授乳している子育狛犬を眺めていた・・・
天祖神社狛犬1.jpg天祖神社狛犬2.jpg

穴守稲荷神社

穴守稲荷神社.jpg羽田に着いたのが3時半。友人との待ち合わせまで、いささか時間があったので、
ふと思い立って、羽田から京浜急行でみっつかよっつ目の「穴守稲荷神社」に行ってみた。

さほど古くからある神社ではない。
でも、霊験あらたかなのか、平日午後にもかかわらず、お参りする人がたくさんいた。

稲荷神社だけに、狛犬ならぬ、狛狐の阿吽の一対からはじまり、
本殿横手から、奥の小高い丘にいたるまで、小さいお社があちこちにあって、大小様々なおきつねさまが、全部でいくつ飾られていたことか。狛きつね1.jpg狛きつね2.jpg

ご神徳は
ねがいごと かならずかなう 穴守の
いなりの神よ いかに尊き

というから、

丁寧に、丁寧に、ご神祭のトヨウケヒメノミコトに、商売繁盛をお願いしてきた。

それにしても、暑かった。
干物になりそうだったわ・・・。

牛島神社

牛島神社.jpg撫で牛.jpgスカイツリー.jpg「この前来た時、おまいりしようと、階段を上がる途中で、足滑らしてな」
と、向島牛島神社の本殿横で、父が話しだした。

「ここでみごとに、大の字にひっくりかえった」
ひえ~
「その時、このみこさんに助けてもらった」
とお札やら売っているところにいた、若いかわいいみこさんに、父は頭を下げた。

「だから、お前もお礼に、”撫で牛”のお札買ってやれ」
なんだ、そうきたか

「それは、お義母さんに持って行ってやれ」
えっ!これ以上姑あらんだまばーちゃんが元気になったら、どうしましょ。

本所向島界隈は、江戸時代から伝わる神社仏閣が点在する。
この牛島神社は、そのひとつ。
まるで、鬼平犯科帳に出てくるような雰囲気がある。

”撫で牛”というのは、境内にどんっ!とおかれた、牛の象。
体の悪い部分と同じところを撫でると、治るというありがたい牛だ。

ぎっくり腰が再発しませんようにと、まず牛の腰(とはどのあたりかよくわからなかったけど)を撫で、おつむが少しでもよくなりますようにと、頭を撫でた。

神殿右手には、スカイツリーがそびえている。
御祭神の荒ぶる男スサノウノミコトは、見下ろされてどう思われているのか・・・

枚聞神社

開聞岳.jpg薩摩半島南端にある、緑美しい、すり鉢をふせたような開聞岳は、残念ながら、雲がまとわりつくようで、とうとう全景をみることができなかった。

ほんとうなら、枚聞(ひらきき)神社のバックに、悠然と鎮座しているはずなのに。


実は5年前の、結婚25周年でも、来ている。
そのとき、神社に着く直前、なんかの拍子で大喧嘩となり、「きったはった」はしなかったけど、お互いこいつとなんかと二度と来るかっ!てなことになってしまった。

枚聞神社.jpgご祭神のアマテラスオオミカミのおとりなしで(?)、その場でまあるく収まり、5年後、結婚30周年のご挨拶もできたのは、ほんとによかったよかった。


賽銭をはずみ、神殿で一生懸命諸々お願いをし、ふと振り返ると、夫がいない。
どこに消えたか、と探しまわったら、資料館にいた。
入場料100円。参観者夫だけ。

「私の分も払ってくれた?」と聞くと
「うんにゃ」
・・・やっぱり・・・

兜と甲冑、直衣や能面、手紙や書、丁寧な細工のほどこした小物入れなどなど
こういうのを見るのは、好きだなあ。

寄進したかたは、”七夕○○”と書いてあった。
”たなばた”さん、ってお読みするんだろうか・・・。

横浜市金沢区散策~称名寺

称名寺1.jpg称名寺2.jpg称名寺.jpg称名寺4.jpg「次は、気にいったお寺があるから、そこに行こうよ」

おりょうさんのお墓をおまいりしたあと、夫が言った。

京急「金沢文庫」から徒歩15分ぐらいだろうか。

宮崎市のような、わりに平坦な土地で暮らしていると、横浜あたりのアップダウンの多いところは、歩くとけっこう腰にくる。

「もう少し早い時期だったら、桜がきれいだったのに」
花吹雪も終わり、緑鮮やかな時期に入りかけている参道の先に、なにやら立派な山門が見えた。

金沢北条氏一族の菩提寺として鎌倉時代栄えたという、称名寺(しょうみょうじ)は、みごとなお庭を配置している。
浄土式庭園というそうな。
武士が台頭してきた時代、祈りをもとめて、このような寺や庭がさかんにつくられたのだろう。

この寺でも、私は祈る。
どうか、難関を乗り越えられますように・・・

神棚にお供えをする

神棚に供える白い器.jpg社名変更を機に、『家内安全、商売繁盛』と神棚を据えた後は、水、塩、米のお供え。

家の食器棚をごそごそしたら、指宿吟松窯の黒千代香(くろじょか)のぐいのみが、ころりと出てきた。
日本の神さま、のんべが多いから、これいいかも、と水入れ(酒ではなく)にした。

残るは、塩と米。
やはり、ケーキ屋だな。
ほら、よくプリンとかが入っている、白い器があるでしょ。

どうせなら、宮崎で流行っているケーキ屋さん。
会社創立20周年のとき、パウンドケーキをたくさん作ってもらった、あのお店に行ってみたら・・・
ありました。ちょうどふたつ、白くて適当な大きさの器が。ふふ

中身は、しゃかしゃか食べて、洗って、お塩とお米を載せましょ、とよく見たら、
なんと、店の名前『アンクルベア』が入っているじゃないの!

いろいろこすったけど、消えません。
しばし考えたが、繁盛している店の器だから、まあいいか。

こりゃあ~っ!なにを考えているんだ、あらんだまっ!」とお叱りを天からうけるかな。
大学1年のとき、神道学入門を履修したことで、お許しいただけないでしょうか・・・

津波を蹴った白うさぎ

津波を蹴った白うさぎ.jpgこれが白うさぎ.jpg最近、外出した折、神社に立ち寄ることが、多くなった。

被災地から遠く離れた九州からでは、できることは知れている。
支援物資送ったり、募金したり、仲間と集まって何かできることはないか話し合ったり・・・

それと、祈ること。
八百万の神さま片っぱしから、どうぞこの日本をお守りください、と。

先日お参りした一ツ葉稲荷神社に、以前はなかった(気がつかなかったのか)ものを、見つけた。

350年ほど前、西海大地震でおこった津波を、この神社に現れた白うさぎが、波を蹴って守ったそうだ。(ありえんけど)
災害からの「守り神」としてあがめられているという”白うさぎ”が、本殿の裏にいた。

遠目、逆光でよく見えないが、なにやら白いものが、青い、たぶん津波を象徴しているのに囲まれている。

何発蹴ったら、津波を撃退したんだろうか。
そのあと、波に飲み込まれなかったのだろうか。
いずれ発生するかもしれないという日向灘沖地震のときは、子孫が現れて、再びばしっと撃退してくれるのだろうか。

とりとめもなく考えをめぐらすのは、春の陽気のせいか・・・

宇納間地蔵尊

宇納間地蔵尊の参道.jpg宇納間地蔵尊.jpg今日は、太ももがものすごい筋肉痛。
なぜなら、昨日北郷の宇納間(うなま)地蔵尊にお参りしてきたから。

毎年元旦に地区に神主さんに来てもらい、お払いしてもらうのだが、喪中でお断りした。
だから、いつもいただく、台所の神さまが、ない。
いつもあるものがないと、ものすごく不安。料理の腕も鈍るような気もするし。

そこで考えたのが、うなまさまのお札。
ちょうど新聞に、宇納間さまの大祭の記事がのっていた。

宇納間地蔵尊は火伏せ地蔵とも呼ばれ、昔江戸市中に大火が発生し藩邸もまさに類焼の危機に瀕した時、当時の延岡藩主の祈誓に応えて、鎮火させたといわれている。
だから台所の守り本尊なのだ。


10号線を北上し、門川から西に入っていく。覚悟していた山道なのに、くねっていなくて、とても運転しやすい。うなまさまのために、道路をよくしたのだろうか。

よか車が対向車線を走ってくる。
火の神さまのお札なので、飲食業の人が参拝するそうだ。儲かってるね。

宇納間地蔵尊の階段.jpg到着!
村中総出で、おもてなし、の感があるにぎわいを楽しみながら歩いていくと、山門に。
そこから10段ぐらい階段を登ればお寺につくはず(とおもった)が甘かった。
後で聞けば、365段!あるそうだ。(誰も教えてくれなかった!)
息はあがり、されど足は上がらず、途中で、「だれか~っ!私をおぶって~!」(とは言わなかったが)
速川神社も、行きつくまでの道のりが修行のごとくつらいが、階段のほうがもっときつい。

宇納間地蔵尊のお札.jpgこうまでして得たお札に守られた我が家の台所、シェフあらんだまの腕もあがるといいけど・・・

本庄稲荷神社

本庄稲荷神社.jpg宮崎に越してきてからは、毎年正月には参拝していたのに、新しい道ができてからは、どこで曲がったらたどりつくかわからなくなり、ご無沙汰していた。

意を決し、この前の日曜日、愛用(?)のカメラ持って、車を走らす。
迷うこと3回。
たどりついた神社は、階段の先にあった。

全然記憶と違うじゃないの!
もっと境内が広々していたように思うんだけど、別のところと混同しているんだろうか。

階段を上っていくと、女性の抑揚のない、か細い声が流れてきた。
祝詞?・・・女性の神主さん?・・・拝殿に上がってお参りしている人がいるんだ。

こういうときは、鐘を鳴らすのも、お賽銭入れるのも躊躇する。
神さまと交信中、ごんっやちゃりんっで、気が散ったりしないかと。

迷ったあげく、賽銭32円、なるべく音をたてないように入れた。ちゃりんっ
祝詞が途切れた。3秒ぐらいの気まずい沈黙。振り返るしぐさ。
みなさん、ごめんなさい・・・


クスノキ.jpg古墳の上に載っているというこの神社のシンボルは、樹齢1000年からするというクスノキ。
何人が手をつないだら、取り囲めるのか、というくらい巨大木。つま神社や高千穂神社にもあったっけ。
つまらない人間の営みを、長~い長~い歳月、悠然と見下ろしてきたのだろう。


大クスの幹の穴に5円玉を投げて金運を試してみましょう、と書いてあったが、外したら、がっくりするので、やめた。
根元の一部がうつぶせになった男性に見える部分の頭をなでて不老長寿を願おう、とも書いてあったが、むっくり顔をあげられたら、腰を抜かすので、やめた。
そのかわり、ちんまりかわいい狛犬をなでなで。

本庄稲荷の狛犬1.jpg本庄稲荷の狛犬2.jpg
ご祭神のヒコイナモチノミコトさま、タマヨリヒメさま、カミヤマトイワレヒコノミコトさま、
ご利益ご利益お願い・・・

浅草神社と被官稲荷神社

浅草神社.jpg浅草神社狛犬.jpg浅草神社の境内で、猿回しをやっていた。
その黒山を横目に通り過ぎたあたりで、
「ずーっと前、このベンチに西田敏行と前田吟がすわっていてなあ。そばに行って、ファンです、って言ったんだ」と父が言った。
そばの立派な狛犬が見下ろしている。

その昔、姑あらんだまばーちゃんが、成田空港の税関を入る前、大竹まことをみつけ、わざわざそばに行って、私あなたのファンです、と言ったのを思い出した。

このふたり、好奇心が服着てつんのめって歩いているところが似てるなあ、と内心にやにやしているうちに、浅草神社拝殿についた。
浅草寺に隣接する浅草神社は、子供のころから何度も足を運んでいるだろうに、記憶がないのは、花屋敷も含めて、このあたりがあまりに広いからだろうか。

被官稲荷神社.jpg被官稲荷神社のおきつねさん.jpg父は末社である、おきつねさん、こと被官稲荷神社が大のお気に入りだ。
稲荷神社の御祭神はウタノミタマノミコト。
キツネは、おいなりさんのお使いだが、まあなんとたくさんのおきつねさんがおりやることか。

ここのお参りの儀式は、赤い蝋燭を買うことから始まる。
願いをかなえてくれるというので、父は何度も通ったらしい。
なんの祈願だったのだろうか。我が身と妻の健康か、はたまた子らの行く末か・・・

さざれ石の巌となりて

地区婦人部の研修日帰り旅行での出来事。
よもや、日向灘にむかって、ろうろうと「君が代」を歌う羽目になるとは、夢にも思っていなかった。

市から助成金が出て、年に1回”婦人の為になるところ”に行かないといけない。
婦人部長・副部長を務めるかよちゃんと私が、紆余曲折の末決めた今年の旅行は、日向方面。
メインは大御(おおみ)神社。
大御神社の神主さんの話は、抱腹絶倒、楽しいよ、といううわさを聞いたので、それを”為になるところ”とした。


さざれ石の巌となりて.jpg以前ひとりで、ぷらーっときたときは、大海原のきわにたつ神社が、不思議な地形にかこまえているな、ぐらいの認識だった。
「君が代の歌詞の内容は、みなさん御存じですかな?」
表情豊か、声量ある神主さんの声は、潮騒にも負けない。

そう言われ、子供のころ、君が代は食べ物の歌、だと思い込んでいた私は、ちょっと緊張する。
「文字通り(歌詞通り)さざれ石が巌となったのが、あのしめ縄の張ってあるところなのです」

神主さんが指差す方向は、子供の私が想像していた『さざえ』も『岩のように固いおこし』もなく、でーんと岩が鎮座していた。
「石ころに、地下火山の力が加わり、あのような巌となって、苔が生すほど長い年月を経てきているのです」
子供私が想像していた『ふかふかの蒸し菓子』も存在するわけがない。

「ではみなさん、今やパワースポットとして有名になった、あのさざれ石のところに参りましょう」
天気でよかった。足が痛いの、腰が痛いののおばさんたちが歩いて行くんだから。

「この石にみなさん、ぜひ触れてくださいね。有名な歌手の○○○さんも来られました」
宝くじには効果あるのか?賽銭の額で左右されるのか?・・・などなど頭をめぐらしていたら

「みなさん、せっかくですから、ここで海に向かって君が代を唱和いたしましょう」
有無を言わさず、いちにのさん、で歌い始めた。

私のおつむに、君が代は、食べ物の歌ではなく、大君の世が、平和で幾千万年も続きますようにという願いを込めた歌だということが、半世紀生きて、ようやく鮮明に焼きついた。

さざれ石御守.jpgそれを更に揺るがぬものにしたのが、さざれ石御守とさざれ石お菓子。
菊の御紋はついてる。しめ縄の巌に、苔まで蒸してる。
やるなあ、大御神社・・・

浅草寺

浅草寺.jpgいつ行っても、大賑わいの浅草寺。
いつ行っても、迷子になりそうになる。

子供のころは、親や祖父母に連れられて、初詣。
おみやげで買ってもらうのは、雷門出たところにある、かみなりおこしのおみせで、白いお砂糖をたっぷりまぶした、歯もとろけそうな、まあるいおこし。

おとなになってからは、義姉に連れられて、飲み屋を散策。
お坊さんも飲みにくるのに仰天し、生まれてはじめて食べた生のほたるいかに、舌鼓をうった。

あまりに大勢の人をのみこむ浅草は、私にとって、いつまでも”知っていて知らないよその地”なのだ・・・。


巣鴨大鳥神社

巣鴨大鳥神社.jpg子供ころ、『おっとりさま』と呼んでいたのは、巣鴨大鳥神社。御祭神が誰かも知らないが、一番慣れ親しんでいた神社には違いない。

東京の大鳥神社と称する神社は、11月の酉の日に、例祭が開かれる。
通常11月は、ふつか酉の日があるが、みっかある年は、火事が多いと祖母が教えてくれた。

そこで熊手を買うのが、毎年の習わし。(宮崎は、11月の酉の市がなく、1月の恵比寿さまで、熊手を買う。最初はかなり面食らった)

商家は大きな、それはそれはにぎにぎしい熊手を買うのだが、熊手商とのやりとりがまた楽しい。
我が家は、神社で用意した手のひらサイズの熊手しか買ってもらえなかったので、大きな熊手を買うおじさんのそばに立って、粋でいなせな丁丁発止を、幼い弟と見学。商談が成立すると威勢よく手締めを打つのに参加して、”福のおこぼれ”を家族の分頂戴するのが、私の習わし。

ほんと、久しぶりで行ってみた巣鴨大鳥神社は、記憶にあるのよりずっと狭い。子供も大人も、ひしめきあって楽しんでいたのか、と早朝誰もいない境内で、感慨にひたった。

酉の市.jpg昨日は一の酉。ポスターは、半世紀前と変わらず。
にぎわいは、どうだったのだろうか・・・

三囲神社

三囲神社.jpg「ここのは、ご利益あるぞう」と父が送ってきた三囲(みめぐり)神社のお守り、けっこう効いたかもかもしれない。
と、父に伝えたら、「連れて行ってやる」

山手線鶯谷駅からタクシー。言問橋を渡ってちょいあたりで降りて、徒歩五分。

さほど大きくない神社だが、敷地内にたくさん、由来にかかわるものがおまつりしてある。

創立年不詳。建てられた時は、ごくごく普通の神社だったのだろう。
私のご利益じゃないけど、あるご利益を、たまたま江戸時代の豪商三井氏が知り、その守護神として崇めた。
三柱鳥居.jpg三井邸より移した、珍しい三柱鳥居もあるし、三井ゆかりの三越デパートの屋上には、すべて三囲神社の分霊がまつれているそうだ。
さんさん(三三)づくしの神社だね。

狛ライオン.jpg三越デパートと言えば、正面玄関にはライオン。
なんと神社には、狛犬ならぬ、狛ライオンがいた!

三囲神社のおきつねさま.jpg御祭神は、ウカノミタマノカミ。男の神さまか女の神さまか不明らしいが、京都・伏見稲荷大社の主祭神。だからおいなりさんもあるのか。
おきつねさまは、つんけんせず、柔和な笑顔をしておりやった。

父は、ここでも“常連客”らしい。
社務所では、父が顔をみせるなり、「あ~ら、いらっしゃい」とさも親しげに、名前を呼ばれている!
お札やお守りを買っては、あちこちの知人・友人に送っているらしい。
送られてきた人は、お礼参りにきて、またお札を買って・・・しらずしらず”循環の輪”がひろがっている。

観光バスでどーんと乗りつけてきた人たちが、社務所でお札を買うか買うまいかまよっていると、「ここのは効きますよ」と宣伝している。

ちちうえ、元気なうちに、功徳をひろめておいてくださいませ。

伊勢山皇大神宮

伊勢山皇大神宮.jpg横浜は、ほんと坂が多い。
平坦な道なら、さほどの距離にも感じなかったのだろうが、JR桜木町駅から、伊勢山皇大神宮、遠かった!

石囲い.jpg神社をめぐる石囲いは、さまざまな企業名が入っている。
明治の初め、横浜開港による発展とともに、大きくつくられた神社だという。
横浜の商売人は、こぞって名を記すわけだ。

拝殿では、背広を着たたくさんの人が、頭を垂れていた。
この神社、神社本庁に属する神社で初めての破産になったときくが、御祭神のアマテラスオオミカミは、そんなこと超越したところにおりやるのだから、信仰心は変わらない。
ここに流れる厳かな時間も、変わらない。

ただ、変わるのは、周りの風景。
今は偉そうに、ランドマークタワーが、見下ろしている・・・。
ランドマークタワーに見下ろされて.jpg


三ヶ所神社

高千穂神社をお参りし、時計を見たら3時半過ぎ。
延岡に戻って夕飯食べるには早いし、と思っていたら、夫が「五ヶ瀬に行こう」という。

ならば、五ヶ瀬で一番有名な、三ヶ所(さんがしょ)神社へ、いざゆかん。


「神社は、正面から挨拶をして入るもの」が親の教えなのに、駐車場がわからず、道なりにすすんでいったら、いきなり神社の真横にでた。

参拝客は、だ~れもいないし、車置いてお参りしようとしたら、社務所から首を出している女の人がいる。
「すみませ~ん、駐車場探していたら、ここまできちゃって、止めさせてくださ~い」

にこにこして出てきたそのかた、待ってましたとばかり、(お願いしてないのに)案内役をかってでた。


本殿の彫刻(右と左は海馬).jpg三ヶ所神社狛犬の原型1.jpg三ヶ所神社狛犬の原型2.jpg普段入れないであろう本殿外側の彫刻を見せていただく。狛犬、龍、麒麟、海馬、夫婦石、象・・・。見事!の一言につきる。


本殿外観.jpg外回りから見渡すと、史記に出てくる話が、板の両面で描かれている。
ご祭神はイザナギ、イザナミ、ニニギノミコト、サルタヒコだが、神さまがたのことより、すばらしい彫刻や、耐震に配慮した構造に目を奪われる。
作った人は、腕も確かだが、教養のあるひとなのだろう。


海馬守.jpg賽銭箱のわきに『海馬守』が。よく気がついてくださったと、説明がはじまる。
本殿の彫刻にあった「海馬」にちなみ、脳の海馬(記憶に関わる)を守るお守りとしたそうだ。

それを聞いた夫「ボケ防止か。なら、あちこち配らにゃいかん。ばーちゃん、おばちゃんたち、おまえのおやじとおふくろ、横浜での仕事仲間たち、おれたち。しめて10個だな」
ひえ~
10000円も払った!


皆様にお守りを渡すとき、ありがた~く、おでこに貼っておくように、と言い添えました・・・。

高千穂神社

高千穂神社鳥居.jpgやっと、高千穂神社に行ってきた。

今年の私の運勢は、縁結びの神社に参るといいらしい。
候補にあがったのが、都萬神社、江田神社、鵜戸神宮、都農神社、榎原神社、そして高千穂神社。

5つまでは行った。そして一番遠い高千穂神社に、いざ行かんと思った矢先、口蹄疫で遠出はまかりならん!
待つこと数カ月・・・


高千穂神社.jpg平成7年、宮崎に越してきてすぐ、お祓いをしていただいたことがある。

参拝客ゼロ。無風状態。物音ひとつしない。
ところが、「かしこみかしこみ」が始まると、突然さあ~と一陣の風が、拝殿に吹き込んだ。
思わず夫と顔を見合わせた。
神様降りていらした、そんな雰囲気満点の御祈祷に、背筋がぞくぞくしたのを覚えている。


あれから15年。
宮崎で一番格が高い(らしい)神社のご祈祷を望んだ父の願いどおり、今までつつがなくやってこれたそのお礼の参拝。
まあ、人が多いことよ。
パワースポットなんて紹介されちゃったからね。

高千穂神社夫婦杉.jpgご祭神は高千穂皇神(たかちほすめがみ)と十社大明神。
高千穂皇神とは、3組のご夫婦の神様のこと。 ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメ 、ヒコホホデミノミコトとトヨタマヒメ、ウガヤフキアエズノミコトとタマヨリヒメ。
神様がたにならい、おかげさまで、うさじいダーリンと仲睦まじくやってこれました、とご報告。

前回来た時は、”一陣の風”の記憶しかないのだけど、すっくと立っている夫婦杉や、幹の太さが尋常じゃない杉や、子だくさんの狛犬や、すばらしい彫刻の存在に気が付きました。
高千穂神社狛犬1.pg高千穂神社狛犬2.jpg


赤池神社

赤池神社.jpg少し前に行ってみたとき、道に迷って、たどり着かなかった赤池神社。
「運の強い神様を祭っている」ところとご縁がないのか、とがっくりしたが、今日は元気を出して再挑戦。車を走らせた。

この前は、道を聞こうにも人っ子一人出くわさなかったのに、しゃれた日傘をさした老婦人が歩いている。
「すみませ~ん、赤池神社ってどこでしょう?」
あらっと、ちょっと嬉しそうな顔をされた。地元の方ね。
「ここじゃなく、もう一本先の道を下って行って、左のつきあたりにありますよ。お参り?」
「はい」

教えてもらった道は、さんざん車を走らせた道。なんでこの前は気がつかなかったんだろう。

国富町にある赤池神社。
お出迎えは、もちろん阿吽の狛犬。ここのは、ちょっとりりしい。赤池神社の狛犬1.jpg赤池神社の狛犬2.jpg
ご祭神は、マサカアカツカチハヤビ アメノオシホミミノミコトという長いお名前の神様。
漢字で書くと、正勝吾勝勝早日 天忍穂耳命 という縁起のいいお名前の由来から、運の強い神様として、崇められているという。

拝殿はガラスの間仕切りがしてあったけど、ふーっと杉のいい香りがする。
創建は今から1200年ぐらい前。最近どこか作り変えたのかな、と見まわしていると、後ろに人の気配。

振り返ると、白と水色の装束の神主さんがおられた。

「神社には、よくこられるのですか?」
「はい、気持ちが安らかになりますので。それに宮崎はすばらしい神社たくさんありますから、あちこち行っては、写真を撮って、ブログに載せています。ここは、木のいい香りがしますね」
「戸をあけると、もっといい香りがしますよ」赤池神社の拝殿.jpg

と拝殿を開けて、見せてくださった。
あら~っ!と感嘆の声をあげて、ながめまわしていたら、これをどうぞ、と持ってこられたのが、ご神木のお守りとパンフレット。
お守りは、拝殿と同じ香り。

運を頂戴した、と思った。
がんばれる力を頂戴した、と思った。

小森宮司、ありがとうございました。大切にします。
そして、仕事がんばります。
ご神木のお守りとパンフレット.jpg

海宮神社

海宮神社1.jpg海宮神社2.jpg日南海岸を南下すると、220号線沿いに、ひときわ大きく「海宮神社」と看板が出ている。

なんて読むかわかりますか?

わだつみ

ロケーションは最高!
正面には、道を隔てて、紺碧の日向灘。神社の裏は、緑が目に沁みる山々。
小さい神社なのに、手入れがとてもよく行き届いている。

神社にお参りしたら、ぐるっとひとまわりする。
ここの本殿は、やけに小さい。
本殿真後ろで、目をとじて深呼吸をするといい、と何かの本に書いてあったので、どこに行ってもやってみるけど、ここは、裏も整然としていて、なんかご利益ありそう。

ご祭神は海神トヨタマヒコノミコトとその娘のトヨタマヒメ。
彼女が山幸彦との間にもうけた子供が、ウガヤフキアエズノミコト。つまり、すぐ近くの鵜戸神社のご祭神。

海宮神社3.jpg海の神の一族がそろった、って感じなのね。

宮崎天満宮

宮崎天満宮.jpg神社を訪ね歩くのは、リフレッシュも兼ねて、わりと好きなことだけど、口蹄疫が蔓延していたときは、さすがに、どこにも行かなかった。

先日、久しぶりに、”首から上を6時間かけてメンテナンス”した帰り、これまた久しぶりに、神社参りをした。

宮崎天満宮。
かなりな高台にあるのは知っていたけど、駐車場がどこかわからなかったので、敬遠していた神社

この天満さま、駐車場のわき道を抜けたら、本殿まで、あとわずかになっているじゃないの。一の鳥居に戻るのもめんどうなので、
「寺や神社に入るときは、正面から入るもんだ」
という父の教えは、忘れたことにして、そのまま進む。

宮崎天満宮の狛犬1.jpg宮崎天満宮の狛犬2.jpg狆のような、でもお耳のたれた狛犬が、お出迎え。
どうも猫に見えるのは、猫好きなせいか。
もっちんjpg

天満宮ということは、本家本元大宰府の藤原道真公がご祭神。
ということは、受験やお勉強の神様。

大学受験の時、大宰府のお札とお守りを貰ったが、みごと第1志望をどっぺった。
自分の勉強不足を棚にあげ、天満様はちょっと苦手です・・・

三圍神社の強運のお守り

三圍神社の強運のお守り.jpg父からあつぼったい封筒が送られてきた。
札束・・・では絶対ない。

あけると、東京墨田区にある、三圍(みめぐり)神社のお札とお守り二人分。
ここのは、自分でお守り袋に入れないといけない、らしい。
入れるのは『強運(ごううん)』と『金銀富貴』のお守り。

「これは、霊験あらたかだぞう」と、今年一月父がくれたのは、なぜか一年前の正月、三圍神社に行って購入したもの。
おニューを送ってくれたらしい。

『強運』のお守りを持つと、弾にあたらないという信仰が、西南戦争、日露戦争、第二次大戦と通してあり、平和な世の中なってからは、諸難を除去してくれる、文字通り『運』がよくなる、ききめがあるらしい。

父が友人たちに配ったら、「もうかった」だの「健康になった」だの、いい話が次々入ってきたという。
本人のそういうご利益はとんと聞かないが、大正生まれが、女房と今も矍鑠(かくしゃく)としていること自体『強運』なのかもしれない、とご無沙汰ばかりの娘は思うのだ。


さて、夫と私の『運』は・・・
人に恵まれているという、大きな幸せに包まれているから、ご利益は十分あるよ、と父に伝えておこう・・・

駒宮神社

駒宮神社.jpg口蹄疫が蔓延しているので、極力外出はひかえないといけなくなった。
日南市にある駒宮神社は、ずーっと前に行って、ブログに挙げるの忘れてものです。

と前置きして、

日南に用があって、帰る途中、左手に、「シャンシャン馬っこ発祥の地」と添え書きのある立て札をみつけた。
角隠しをつけたお嫁さんが馬に腰かけ、ゆらりゆらり、と鵜戸神宮めぐりをする姿をみたことある。
「どんな神社だろ?」と寄り道をしてみると・・・

神様ずらずら.jpg第一印象は、
こじんまりしているけど、かなりきちんと整備されている神社。
ご祭神は カムヤマトイワレヒコノスメラミコト 平たく言うと神武天皇。
若い時に、ここらあたりに住まわれたとか。

ほかに、祭られているのは、古事記にでてくる神様みんな、じゃないかなというほど、ずらずら。
けんかしないかな・・・


えにし地蔵尊.jpg私が足を止めたのは、神社の裏手、敷地の端のほうに、あどけないお顔で整列していた、かわいいお地蔵さん。
「えにし地蔵尊」と言うげな。
この世に生を受けたこどもも、そうではなかったこどもにも、神仏の加護をと書かれている。
ちょっと泣き顔や、すまし顔。これはいたずら小僧だな、なんていうのもいる。
だーれもいない境内で、長い時間、ひとりひとりお顔の違うお地蔵さんたちをチェック。

窟.jpgみんな、石像の馬や神武さまと、御鉾の窟(みほこのいわや)なる巨岩の古跡で、かくれんぼができるね・・・

巨田神社

巨田神社.jpg神社めぐりをして、行きつくまで、あれこれ想像するのも、楽しみのひとつだ。

以前、巨田(こた)神社への道の案内板に従って車を走らせたのに、途中で表示がなくなり、それらしき鳥居も見当たらず、人っ子ひとり見当たらず、断念して帰ってきたことがあった。

「ねねねね、行ってみようよ」
ハンドルにぎっていた夫にささやいたら、こっちの方面じゃないぞ、という。

いや、そんなことない。まっすぐ走って、交差点を右入ってまっすぐ・・・
ほら、「巨田神社」の→があるでしょが。

「ここから先が、わからなくなったのよ」
と目をこらして周りの景色を見ていたら、先日車を止めて探したあたりより、20メートルぐらい先に、鬼太郎やねずみ男がでてきそうな神社があるじゃないの!

中世の作りを持った神社ということで、国指定重要文化財になっているという。屋根の深いカーブが珍しいのだろうか。
ご祭神は、アマノフトタマノミコトとホンダワケノミコト、それに神功皇后。

地元の鎮守の神様なのだろうけど、きれいにお守りするのは、つくづくたいへんだと思う。
ここの近くにある、うちの地区の神社は、最近氏子がどんどん抜けて、つまり農家が高齢化してきて、維持が困難になりつつある。

意識の差、なのだろうか。
心細げにしておりやる神様がたが、ほらそこに・・・

都農神社

都農神社.jpgもうてっきり、書いたことがあると思い込んでいた、都農(つの)神社。

カテゴリー「神々のおりやるところ」を見てみたら、ない。

神社の改装を長い間していたので、出来上がったら写真撮りにいこう、と思っていたのか・・・あっちもこっちもしていると、記憶が定かでなくなるわい。


日向国一之宮というだけあって、敷地も広く、庭園が美しい。
壮麗な趣がある。かといって華美な雰囲気ではない。
1000年以上の歴史のなせるわざか。

たまたま行った日は雨。広々とした境内はだ~れもおりやらん。
こういうときこそ、願い事、かなえていただかんと。

ご祭神はオオナムチノミコト。別の名をオオクニヌシノミコト。
因幡の白ウサギで有名な神様。
なぜか、”縁結び”にご利益があるそうな。

だからきました。困ったときの神頼み。
どうかいい人とのご縁をお授けください、と丁寧に、それぞれのお社をお参り。
お賽銭をはずんで、がっつりお願いをしてきました。

結果はまた後日・・・。

五十猛神社

五十猛神社.jpgNHKの番組「熱中時間」を見ると、世の中には、いろんなことを趣味にしている人がいるもんだ、とつくづく感心する。
と同時に、番組に登場した、日常のさりげないものに、興味がわく。

神社にある一対の狛犬。

神社というスポットが好きで、あちこち訪れ、社をぐるりとまわって、しげしげ眺めるが、そうか、狛犬もあるぞ、と気がついたのが、先日訪れた五十猛神社。

いそたけ、と読む。
日向市で二つ目にお参りした神社。

五十猛神社狛犬阿形.jpg五十猛神社狛犬吽形.jpg狛犬は、右がお口をあけている「あ」形。ふむふむ。
左が、お口を閉じている「うん」形で、昭和以前は角があるんだそうだ。
これは、角がないから、わりと新しいね。
それより、この狛犬、なんか、身近なものに似ている・・・

あ、わかった・・・
いかん、ありがたみがなくなる・・・
狛犬ならぬ狛猫か?.jpg

この神社の11月の大祭では、腰を前後に振るしぐさがユニークな”ひょっとこ踊り”が、厄払いとして奉納されるそうだ。
この踊り、小学生の低学年が運動会で踊ると、ものすごくうけるの。
見ている人は、大爆笑。

あ、話がそれた・・・
いかん、ありがたみがなくなる・・・

黒貫寺

黒貫寺.jpg15年ほど前、夫と私が宮崎に引っ越すということになって、娘がどんなところに住むのか、父が見に来た。

娘大好きの父は、一緒に引越して来てもいいか、という気分にちょっとなっていたと思う。
しかし生粋の江戸っ子は、デパートと本屋とそばやと交通機関がネックになって、断念した。
娘かわいさより、自分の趣味(デパート・本屋・そばやめぐり)を優先した。
だいたい宮崎市と東京のど真ん中を比較するほうが、無理ってもんだ。

父が地方に足が向くのは、ゴルフと寺・神社参りのときだけ。
ゴルフは夫にまかせ、近所の由緒正しい寺はどこかと、姑あらんだまばーちゃんに聞いた。

即帰ってきた返事は「黒貫寺」
場所は、家から車で5分。
今から思えば、お大師さんのはす前。高屋神社のまん前。

山門を入ろうとして、腰が抜けそうになった。
顔の崩れた仁王様が一対。しろありにでも食われたのだろうか。
おどろおどろしい姿が怖がりの私を圧倒して、それ以来、行っていない・・・。


先日、ばーちゃんがお泊りに来た時、たまたま黒貫寺の前で、登りをみた。
出店でもあるのかなあ、と思って「いってみる?」
好奇心が服着ている彼女が、断るわけがない。

15年ぶりのお寺は、すっかり風景が変わっていた。
本堂は新築され、あの怖い仁王様はいずこへ?

ご本尊さまは観音様。昔は安産祈願で、大賑わいだったという。
そういえば、めいっこも岩田帯をもらいに、ばーちゃんと連れだってきたっけ。

おどろおどろしい仁王様.jpg「奥は池もあって広いんだから」
というので、裏手を散策していたら・・・ありました。
例のおどろおどろしい仁王様が。
「私が子供のころは、きれーだったっつよ」
お手入れしなくなったから、こうなったの。
でも捨てるわけいかないわね・・・。

大御神社

大御神社.jpg日向で有名な神社、といえば、必ず聞くのが大御(おおみ)神社。
日向のお伊勢さまと言われている。

きらびやかなのか、大きいのか、ご利益があるのか・・・行ってみれば、わかること。


駐車場着いて車から降りると、潮騒が聞こえる。
海がどう見えるんだろう、とわくわくしながら参道を通って行くと、ひらけた先、真っ先に視界に入ったのは、高々とパームヤシ。
その奥に、素朴だけど瀟洒な佇まいの神社。
バックは、宮崎特有の岩場が、日向灘にせり出している。

絶景かな絶景かな.jpg絶景かな絶景かな

君が代に登場する”さざれ石(私は”さざえ”だと、長いこと思っていました)の、どでかいのが、しめ縄をはって、海を見下ろしている。
大きな岩が、川や波にもまれて石ころになるというは、理科でならったが、石ころが粘土・砂などに混ざり大きなかたまりになる、っていうのは、時間を巻き戻すようで、おもしろい。さざれ石.jpg

ご祭神はアマテラスオオミカミ。
高千穂からも、ひとっ飛び。
ここなら女神も、ご機嫌うるわしく、おりやるでしょう。

お大師さんがたくさん

新四国八十八か所参りのほこら.jpg姑あらんだまばーちゃんとうちの近所を散歩中
「子供の時、八十八か所参りにいくわ~というと、ばーちゃんがお米をひとすくい袋に入れてくれるの。それもって3,4人ででかくっとよ(出かけるのよ)」
私は「?」

「お大師さんみんなに、米は3粒ぐらいづつ置いていくの。たらんご(足りなく)なるからね」
「??」

「2時間ぐらいで、八十八か所参りがおわるかな」
「???」

「ほら、ここが始まりよ」
と彼女が指差したところは、吹けば飛ぶような、思いっきり汚い(失礼)ほこら。
10数年車走らせている、通勤の道筋にあった。

傍らには、『新四国八十八か所参り』の文字が刻まれてある。

やっとわかった。
”四国”の八十八か所ではなく、”この地域”の八十八か所。
このほこらからスタートして、山の中に点在しているお大師さん参りをするのが、子供の遊びのひとつだったらしい。

「山はもう藪やろから、あのお大師さんたちは、どんげなちょるやろかねえ~」
と悲しげなばーちゃん。

お大師さんたち1.jpgお大師さんたち2.jpgふと、あたりに目をやると・・・
石像が、ぽこぽこ並んでいるじゃないの!

「ばーちゃん、お大師さんってこれのこと?」
「あらんだまっ!これよっ!ここにみ~んな集めたっちゃろか?」

数えはしなかったが、身の丈20センチほどの、苔にまみれたお大師さんが、ぐるっとならんでいる。
これなら、寂しくないでしょ。

ありがたい、ありがたい、とばーちゃんは拝んでいました・・・。

三宝殿

三宝殿への道.jpg三宝殿.jpgほんとうは、三宝大荒神奉祠殿 というらしい。
鶴見の大本山総持寺敷地内の高台に建っている神社。

里のお墓がある総持寺は、それこそ子供のころからなじみがあるが、この神社の存在は知らなかった。

お寺に神社?
どんなことになっているのだろうと、行ってみたら、お坊さんが、お線香をあげるところを清めていた。

まつられている三宝大荒神は、仏法の守護神。それもインド由来の仏教尊像ではなく、日本仏教の信仰の中で独自に発展した神様らしい。

だから、ろうそくではなく、お線香。大いに納得!

まわりに鶴見大学のある風景は、私の知っている総持寺とは、まったく思えなかった。
知らないところに、きてしまったように思える・・・。


学生のころ、宮城県にある遠いご先祖様のお墓をとりこわし、マンションが建つというので、父と引き払いにいったことがある。
そのとき、遠い親戚、という家に立ち寄った。
出てきたおじいさんは、小学校のとき亡くなった祖父にそっくり!
初めて来たのに、知り尽くした家のように、くつろんだっけ。

ふ~っと、何十年も忘れていた記憶が広がった・・・。


御香宮神社

御香宮神社.jpg伏見寺田屋から、龍馬通り商店街をぬけて、伏見桃山駅のほうに歩いて行くと、坂の先に、御香宮神社がある。

ごこうのみやと呼ぶこの神社、立派な表門は、その昔、伏見城の大手門を移築したものらしい。
表門だけではなく、神殿もきらびやかで、みごとな装飾がほどこされている。

明治元年の鳥羽伏見の戦いでは、薩摩藩の本陣として利用されたが、焼け落ちたりの損傷はなかったという。主祭神の神宮皇后が、守ったのだろうか。


湧水.jpg以前父が、ここのお水はご利益あるぞ、といったことがある。
そう、ここは湧水でも有名。

なのに父に電話したら、今日は飲まんほうがいい、という。
なんでだかわからないけど、親の言うことはきくもんです。

お守りも買わず、新年のご挨拶の神社参りだけと、あいなりました・・・。

長建寺

長建寺.jpg濠川沿い.jpg坂本龍馬ゆかりの寺田屋を訪ねるのには、京阪電車の中書島駅で降りる。

かつては三十石船が行き交った濠川伝いに歩いていくと、ひそっとあったのが、長建寺。
お出迎えをしてくれたのが、ネコ。

どっかの神社はイヌだったっけ。

ネコにとって魅力的なにおいを発しているのか、私にまとわりついて離れない。

このお寺のご本尊さまは弁天様。
どうりで、山門と壁は、女性らしい赤が印象的。
とってもすてきね。

じゃあ、鎌倉の銭洗い弁天と同じ、銭洗いの場があるのかな、と思って見渡すと、ありました。
正月早々ありがたい。
伏見の名水閼伽水で、1000円札をまんべんなく洗っておさいふに。

古銭型のお守りも有名らしい。
でも、おさいふのなかお守りだらけ。喧嘩をするといけないので、おみくじをひく。
末吉!
「忍耐と自重自省が強く要求される現在の運勢」
なるほどなるほど
「しかし一陽ひとたび来れば運気一度に開ける」
悪くないね!
ま、今年も頭をたれて、がんばれってことでしょ。

外にでて、今一度振り返ると、なんか見たことある佇まい。
記憶をたどると・・・ジュディ・オングさんの版画で見たことある。

彼女も、魅せられた、ひとりなんだ・・・

堀川戎神社

堀川戎神社.jpg今年の十日恵比寿は、あいにく出張中。
いつも参る大淀中村の恵比寿神社にいけなくなった。

ところが、たまたま泊まったホテルのすぐ近所に、大阪天神橋筋の堀川戎神社があるっていうじゃないの。

本場のえべっさん、どんなものか行ってみた。

長く続く参道のちょうちんを目印に歩いて行くと、どやどやと人のいる神社に到着。
左手のほうから、鈴の音と女性の声。
右手からは、鈴の音と男性の声。

当然夫の足は左に向く。

福娘.jpgそこには、巫女装束の福娘が3人。
福笹を買った人に、「商売繁盛、家内安全・・・」と唱え、鈴をふってくれる。

オーダーメイド.jpg「どんな種類を買ったらいいのですか?」と聞いたら
「フルセット9000円です」

いや、それはちょっと無理でしょう・・・

「では、千両箱と金色の巾着を」と言ったら、さささっとオーダーメイド。
金3000円也。

装束のおじさんが、「これも持って行って」と大福帳やらついた福笹を、おまけでくれた。

ご祈願.jpgお飾り.jpgそれから儀式。
満面笑みの準ミスの福娘さんが、垂れた頭(こうべ)に
商売繁盛、家内安全、なんとかかんとかー」(よく聞こえなかった)
最後は、金色の神楽鈴をじゃら~んっ!

邪気がぺっと払われ、
今年も商売繁盛間違いなし!(かな)

児原稲荷神社の大祭

児原稲荷神社の上がり口.jpg大祭の準備.jpg西都市の奥、西米良の山の中にある児原稲荷神社から、12月5日に大祭があります、とお知らせをいただいた。

去年なにげなく立ち寄ったことから、宮司のかいさんと知り合ったのがきっかけ

1年前の大祭のときは、「御祈祷しとってください」とおまかせした。
でも今日は神殿にあがって、1年つつがなく過ごせた御礼と、また夫と私と係わるひとたちすべての幸せを祈願してきた。

人気(ひとけ)も神気もない神社、たくさん見てきたけど、ここはどっさりある。
生業万事の神が、ひとの心をつないでいるのでしょう。

さて、残り少なくなった今年、やり残しがないようがんばろ・・・
落ち葉のじゅうたん.jpg

札幌八幡宮

札幌八幡宮.jpg11月だというのに、かなり暖かい陽気の、ある土曜日。
七五三の華やかな雰囲気が溢れている宮崎神宮をうろうろしていたころ、夫は一面雪に被われた、北海道札幌市にある、札幌八幡宮を訪れていた。

宮司の菊池重敏氏は、夫と大学時代同学年であり、私の先輩。

北海道に出張の帰り、「電話番号教えてくれ」
千歳空港から飛行機に乗る時間まで、余裕があるかららしい。

年賀状のやりとりこそ続いているけど、お会いするのは卒業以来じゃないかしら。
お互い歳とって、変わったねえ・・・と言い合うのかと思いきや、あいにく菊池さんは東京出張中。

思いのほか(失礼)りっぱな神社にびっくりし、りっぱに成人されたお子さんがたから、七五三のお祝いの折をいただいたそうだ(私は食べていない)。

おまけに北広島市エフエム放送でしていた講話をまとめ、自費出版された本『菊池宮司のいい話-さわやかに生きる』まで頂戴してきた(読みました)。

菊池宮司のいい話.jpgしかし・・・まあなんとお太りあそばされたことよ、菊池先輩!昔からネアカで楽しいひとだったものね。表情にその雰囲気あらわれていますわ。

大学時代の友人先輩が、このところ立て続けに鬼籍に入っているので、お会いできるときに、会っとかんと・・・。

恒久神社

恒久神社.jpg神社が建てられた由縁はさまざまだが、町の一角にある恒久神社は、疫病を鎮めた賜うために建立されたという。

それもなんと!900年以上も前から、この地にあるというのだから、驚き驚き!

宮崎は、桁が違う古さのものが点在している。
そういう場にたつと、なんだか日頃、つまらないことでおつむを悩ましているのが、あほらしくなってくるのだ。

ここにある木や石や造作物の一部は、ずーっと同じなのに、人は何世代のいとなみがあったのだろう。

ご祭神は、ニニギノミコトの奥方、コノハナサクヤヒメ。

11月は日本中の神々が出雲から、帰ってこられたでしょう、と思って来ましたの。
何かをお願いするというより、心を無にしたくて・・・

東霧島神社

車を12ヶ月点検に出したら、「お好きなだけ乗り回してください」と、ホンダはエコカーの”インサイト”を代車で出してくれた。

そっか~。
お言葉に甘え、高速で都城まで、夫の運転で"転がして”きた。

車が大好きな夫は、運転しながら余裕で、あっちのボタンをぽちぽち、こっちのスイッチをかちかち。
怖がりの私は、車が”ちんがら(壊れる)”するんじゃないかと、気がきじゃない。

高速をおりて、ナビに登録した東霧島(つまきりしま)神社には、スムーズについた。

お出迎え.jpg車を降りると、「いらっしゃいませ~」と近寄ってきたのが、紐なしのわんちゃん。
「は~い、こちらですよ~」と本殿に上がる階段まで案内したら「じゃあ、がんばってね~」といなくなった。

東霧島神社は、霧島山を囲む由緒正しい霧島六社権現のひとつ。
本殿にあがる石段は、鬼岩階段ともいわれ、後ろを振り向かずに、願い事を唱えながら登り切るとその願いがかなうといわれているから、大願成就まであと一歩まできているうちの社長には、がんばってやってもらわんと!
鬼岩階段.jpg
何段あるんだろうか。ぜいぜい、ひいひい言ってようやくついたところにある神社本殿の、なんと古めかしいことよ。
霧島六社権現の霧島神社も狭野神社も霧島東神社も、ペンキの色もあざやかだったのに・・・
東霧島神社.jpg

お賽銭もはずみ、縁起物のたいこも叩かせていただき、帰りは、鬼岩階段を下るのは勘弁してもらって、脇のコンクリで作った道をゆっくり下ってきた。

最敬礼して車に乗り込もうとしたら、さっきの紐なしわんちゃん
「お疲れ様でした~」とお見送りに来てくれた。
君はえらいね!
お見送り.jpg

ご利益の結果は、また後日・・・

お地蔵さんふたつ

先日テレビでやったドラマ「結党!老人党」は、巣鴨が舞台とか。
こんなふうに、いつのまにか東京巣鴨の『とげ抜き地蔵』は有名になっていた。

でも生まれてから知る限り、その賑わいは変わらないように思う。

ご近所さんだったので、何かにつけては、お地蔵さんまいり。というより、4の日、市がたつ雑踏が好きだったので、嫁にいくまでは、少なくとも月3回は、足を運んでいた。

せんべい屋、だんご屋、食器屋、つけもの屋、うなぎ屋、下着屋、くつ屋、うどん屋、あめ屋・・・私がのぞいていく店は、今も昔も変わらない。

ゴールが高岩寺。
そこの本殿におりやるのではなく、外の行列をなして、ごしごしみがいてもらっているのが、”シンボル”のお地蔵さんなのだろうか?50年以上見てきて、初めて”深~く”考えた。


銀座のデパートの屋上にも、お地蔵さんがおりやった。
開運、出世、延命、商売繁盛にきくという、その名も『出世地蔵』。
明治大正昭和と、縁日の賑わいはたいしたものだったらしい。
銀座だもん、さもありなん。


ふたつのお地蔵さんには、日頃のお礼と、同じお願いをしてきた。
今年の後半戦、”勝負”がかかっているのよ。
困ったときの神頼み、です・・・

とげ抜き地蔵.jpg
出世地蔵.jpg

霧島東神社

霧島東神社.jpgこのところ、津波のように押し寄せている雑多なことで、私のおつむはタングルウッド状態。

整理がつかなくなったときは、神社参りに限る。
ということで、ちょっと格の高い霧島東神社、に行って来た。

鹿児島県と宮崎県にまたがる霧島六社権現(今は五社。霧島神社、東霧島神社、狭野神社、霧島東神社、霧島岑神社)の中のひとつである、霧島東神社は、神社だけど、平安時代に開いた性空上人は、天台宗の修行の地としたもの。

神仏習合の霊場であり、修行者が最盛期は360人もおったというが、私が行ったときは、参拝客ひとっこひとりいません。人影もまったくなし。
もっとも、ものすごい山奥にあるので、街中にある宮崎神宮のように、すすす、とこられないもんね。

ご祭神は、神々の大御所の面々、イザナギノミコト、イザナミノミコト、ニニギノミコト、アマテラスオオミカミ。

風格のある社のしつらえ、バックヤードが高千穂峰、眼下に見下ろす御池(みいけ)、というロケーション、すべてあわさり、目を閉じて心を無にすると、おつむのなかで、こんがらがっていた事柄が、糸がほどけるように、流れていく。

大丈夫よ、大丈夫よ、と、おおらかな笑みにつつまれたような気がした・・・。
霧島東神社杉林.jpg
眼下に広がる御池.jpg

阿佐加利神社

阿佐加利神社2.jpg「まむし退治は、さがりの神社のお砂よ」と、うちのあたりのひとたちは言う。

だから”さがり神社”というのが本名かと思っていたら、阿佐加利(あさかり)神社が正式名だそうな。別名お天子さま。

宮崎市佐土原にあるこの神社は、姑あらんだまばーちゃんの母親の実家の近くにある。
5月24日は年に1度の大祭。
その日いただいたお砂は、効果てきめんだというので、お初穂1000円と特大のビニール袋とバケツ持って、ばーちゃんと行ってきた。

うやうやしくお初穂をさしだすと、おふだと紙垂の竹、おごくとなますとお神酒を2人分!用意してくださる。いやいやひとり分しか入っていませんから、と辞退するが、いやいやせっかくきてくださったから、と手をとるように、席に座らせられた。

なますをもくもくと食べ、さてお砂はどこぞ、と見回していたら、案内してくれたのが、神社本殿の真下。
遠慮がちにスコップに2すくいぐらいとったら、どうぞどうぞ好きなだけ持っていってください、と。
じゃあ、とビニール袋がやぶけるほどいただいてきた。

ばーちゃんは、こどものころの遊び場だったという。
あんまりかわっちょらん、という風景には、のどかなうぐいすの声が響いていた。

今度の日曜は、この砂撒きの大仕事が待っている・・・。
阿佐加利神社.jpg

皇子原神社

皇子原神社.jpg”おうじばる”と読むこのちんまりした神社は、6つほどの古墳にかこまれた、小高いところに鎮座している。

ご祭神である幼名サノノミコトの神武天皇は、お社の裏手にある「産婆石」のあたりで誕生されたという。

バックヤードには高千穂の峰がかまえ、威風堂々たる霧島六社権現が点々と配置されているなかで、峻厳な聖地といった雰囲気もなく、古代のいたずらっこたちが、このあたりをかけずりまわっていたのであろうと、容易に思いを馳せることができる。
長じて彼らは、東を目指し、日向の灘から船出をしていった・・・。

宮崎は、神話街道で、古代の雄姿の行方がたどれる。
産婆石.jpg

児原稲荷神社

児原稲荷神社.jpg

宮崎では、「原」は、はら、ではなく、はる、と読む。

西都原は、さいとばる、皇子原は、おおじばる、のように・・・

だから、児原は、こばる。

児原稲荷神社に行こうと思ってたどりついたのではなく、西米良からの帰り、一つ瀬川沿いの道を車で飛ばしていたら、「あれ~神社があるわ」

神社大好きの私、ちょっとだけおまいりしていこうと、ぐーと登っていく道に進路を変えて、走った。走った。走った。走った。でも、つかない・・・

うねうねの登り道を走った。走った。走った。走った。出くわした軽トラのおばちゃんは、どこいくのよ、という顔して見てた。

ちょっとの予定が、何回ヘアピンカーブを通過したことか・・・山の頂まできちゃったんじゃないか、と思った頃、やっと着きました。

こんな山奥なのに、お札も売っているし、お社の中もきちんとして由緒ありそうで、神気も人気(ひとけ)もある。

よかった、神様が居心地よくおりやるところで。

お賽銭をいれ、何気なく天井をみると、天狗の面ややりっぱな武将の絵が、かかげてある。

人口もずいぶん少なくなったであろうこの地域で、この神社は、人々から慕われているんだろうなあ、とほっとした。

ご祭神は、おきつねさんの稲荷神社だから、ウカノミタマノミコトはじめ6柱。

このブログを書くので、ネットで調べていたら、この神社の若き宮司さんが書いているブログを発見!

このかたが、がんばっているのね!だから、ちゃんとしていたんだ!

天狗や武将.jpg

 

 

 

 

 

巣鴨のお地蔵さん

地蔵商店街.jpg

久しぶりのブログupです。

うちの会社のホームページと、このブログをリニューアルしよう!と、うちのスタッフさとちゃんパパがちょっと触ったら、ちんがら(壊れるってこと)・・・気合入れて直してもらって、ようやく復活しました。

まだ、”建築中”ではありますが、とりあえずオッケーです。

先週の水曜日、ポータルサイトサミットin静岡があるのに合わせて、仕事プライベートを組み合わせ、6日間ほど上京してきました。

高齢にはなりましたが、元気にしている両親のいる実家は、山手線巣鴨駅から歩いて5分。

たまに巣鴨駅におりたつと、ひゃ~っというほど、町並みが変わっています。

子供のころは、平屋の我が家の屋根にある物干し台から、まっすぐ富士山が見えたほど、高い建物はありませんでしたが、今は、ビルが城壁のように道路の脇を固めています。

駅から実家に向かう道とは反対方向に、巣鴨のお地蔵さんがあります。

地蔵入口までの並びは、ずいぶん店屋が変わりました。やおやさんはケータイ電話を売る店に、肉屋さんは雑貨屋さんに、洋裁店は食べ物やさんに・・・前はなんだったか、思い出せないところもあります。

巣鴨地蔵通商店街、これは嬉しいことに、あまり変わっていません。きっと、お年寄りの原宿として親しまれているからでしょう。

4のつく日は、縁日なので、今でもとてもにぎわいます。

小学校のころは土曜日、学校がひける午後、このあたりのお店を一軒一軒覗くのが、私の”きまりごと”でした。

大晦日の紅白歌合戦が終わると、「いくぞ」と父がお地蔵さんに初詣に出かけます。生まれてから結婚するまでの24回、恒例行事でした。

お地蔵さんについたら、まず線香を投げ入れ、煙に手をかざし、よくなってほしいところ、なおしたいところをなでます。たわしで洗う観音様は、いつも混んでいるのでパス。そのまま本堂に行って、賽銭を10円いれ、ごにょごにょ。大学入試のとき、遠くから賽銭を投げたら、ふちにあたって、入りませんでした。そのせいか、第1志望はみごとに不合格!

境内のベンチに座ると、ふっと小学生の私になっていました・・・。

巣鴨のお地蔵さん.jpg

 

 

 

 

 

矢的原神社

何で見たのか忘れたが、宮崎の巨石伝説を廻る話のなかに、東(つま)霧島神社にある神石が割れて、びゅんと飛んだ先が、宮崎市内にある神社とあった。

それが矢的原(やまとばる)神社。

またずいぶん遠くまで飛んだもので・・・神社を探し当てて見てみたら、なんか気持ちの悪い、感じの悪い石。

矢的原神社.jpg

怨念が小さく、うじゃうじゃとぐろを巻いているようで、色も石にあるまじき色で、鳥肌がたった。なんていう種類の石なんだろう・・・

この神社、霧島神社(たぶんこの地域の)、的石神社、原権現神社の3つの神社がひとつになったもの。

御祭神は山幸彦こと、ホオリノミコト。神武天皇のおじいさん。ニニギノミコトのお子さん。トヨタマヒメのご主人。

山幸彦伝説は、宮崎は本当に多いけど、こんな小さいこの地域の氏神様としても、おられたのね。

ついでにいうなら、この神社、お腹の神様って書いてあったけど、なんで?どこが?わからん・・・

神石.jpg

狭野神社

狭野神社.jpg

”軽く”車を走らせて見ることができる神社は、ほぼ行った。

残すは、宮崎が誇る高千穂の神々と、鹿児島県境にある霧島の神々。

そう、そこには超有名どころがぞろりとあるのだが、いずれも、ちょっと行ってくるわね、とは言いがたい距離にある。

たまたま高原(たかはる)に行く用ができた。

霧島を囲むように、霧島神社、霧島東神社、東(つま)霧島神社、霧島岑(みね)神社(夷守神社と合併)、狭野神社の六社権現がある。その入口にあたる高原、そして一番近い狭野神社なら、足が運べそう・・・。

早朝、雨が降りしきるなか、車からおりて、ぬかるみに足を取られながら進む。

参道は、たぶん何百年も、人間のいとなみを見下ろしてきたであろう、太い杉が並ぶ。

20分ほど歩いただろうか、静寂のなかに、飾らない、しかし風格のある神社が、右手に現れた。

御祭神は神武天皇、幼名狭野尊(サノミコト)

サノミコトは、この野山をかけずりまわって、遊んでいたのだろうか。

人気(ひとけ)がまったくない、雨音ですべての音が消されている・・・

社殿に向き合うと、ここは、大きな神さまがおりやるな、と思った。

10月、神々が出雲においでになって、神無月になる前でよかった・・かも・・・

護国神社

護国神社.jpg宮崎神宮は広大な敷地を持つ。

博物館あり、昔の茅葺の民家の展示あり、
その一角に護国神社もある。
ひとが絶えない神武さま(宮崎神宮の通称)とはうってかわって、ひっそりとして、ひとけもない。

祀られているのは、「国家公共につくしたひとの神霊」だそうだ。

神社に祀られている神さまがたが、記紀に名を連ねるかたがたであると、親しみと、どことなくおかしみを感じる。

歴史に登場するひとたちだと、少し現実味を帯び、苦しかったであろう人生に思いを馳せる。

でも護国神社の御神は重い。
まだ生き証人たちがたくさんいるからね・・・。

八手神社

八手神社.jpg我が家は、内外問わず、大小さまざま、種類もいろいろのクモたちが、どやつといる。

別段、悪さするわけでもなく、私が近づくとそそくさと逃げるので、こちらも「きゃあ~」とか「しっしっ」とかも言わず、いるがまま、あるがまま。

でも、ハリーポッターにでてくるアラゴクや、映画南総里見八犬伝にでてくる大グモや、楳図かずおの恐怖マンガにでてくる、世にも恐ろしいクモのように、大抵は悪役になる。

その典型的な悪役のクモを祭った神社があるというので行ってみた。

その名も八手(やつで)神社。
やっぱね。

うちのメインバンクのすぐそば、民家に囲まれているのだけど、
ゴミひとつ落ちていない、それはそれはきれいにしてある神社。

やはりクモたたりを恐れてか・・・
と思ったら、メインのご祭神はシオツツノオジ(シオツツノカミ)じゃげな。
先週行った、野島神社のご祭神と同じ海の神さまじゃないの。

このシオツツノオジは、海幸彦から借りた釣り針をなくした山幸彦を助けた神さま。
記紀には、たびたび登場してくる。

大グモの供養碑.jpgじゃあクモの話はなによ、というと、
その昔、赤江の浜(もとものこの神社があったところ)にあった松林に、夜な夜な人を襲う大グモがいた。
宮本武蔵のような剣の使い手がやってきて、やっと退治できた。
人々は、ほっとしたものの、その大グモのたたりを恐れて、祠をたて、この神社にまつったそうだ。

写真右から4番目の、つるっとした前方後円墳のようなのが供養碑。
昔のひとは、やさしいね・・・。

野島神社

アコウ2.jpg野島神社.jpgアコウ1.jpg風光明媚な日南海岸。
それに沿った道は、大雨でよく通行止めになる。
それを避けるために山を掘ってつくられた長い長いトンネルを抜けると、内海あたりにつく。

さらに車を走らせると、イセエビが食べられる食堂が点在する。
そのひとつ「星倉」のまん前に野島神社はある。

面に立つ石碑には「浦島太郎をまつる」とある。
浦島太郎ってあの浦島太郎?
なんでここが浦島太郎?
丹波のあたりの人なんじゃないの?

と大雨のなか、考えてもずぶぬれになるだけなので、社殿にすすむ。
と、右にみごとな、というより、おどろおどろしい感のする、アコウの木が空間を覆っている。

ちんまりしたお社で拝むより、この樹齢300年のアコウの木に、思わず手をあわせてしまった。

祀られているのは、シオツツノカミ、サルタヒコ、ウハツツオノカミ、ナカツツオノカミ、ソコツツオノカミと、海の神様がたが勢ぞろいしている。

この野島神社は、かつて白鬚大明神といったそうだ。
アコウは大綱をひねって束ねたような、不思議な木で、
幹からしょんしょん出ている根が、まるで仙人の鬚のように見える。
だから、ただならぬ霊気がただよった雰囲気がするのかな。

怖がりの私、早々に帰ってきました・・・。

木喰五智館

木喰五智館.jpg『木喰』
なんて読むのか、いったいなんなのか、初めてこの文字を見たときはわからなかった。

もくじき、と読む。
江戸時代、米穀をたち、木の実や野菜を食して、全国行脚したお坊さんのこと。

たいしたもの食べていないのに、92歳まで長生きをした。
そして、暖かい微笑をたたえた仏像を製作し、各地に残した。

今年の1月から3月にかけて、福岡市博物館で『木喰展』が開催されていたが、いけなかった。

本物の彫像を見てみたい、とずーっと思い続けていたら、なんと、私の住む西都市のお寺に、住職として9年もおりやったげな!
どこよ?と探したら、車で7、8分ぐらいで行ける日向国分寺。
今は跡しかない。
「木喰五智館」が建てられ、今なお、木喰上人が彫られた5体の如来さまが鎮座しているという。

いちょうの巨木.jpg行ってみました。

国分寺は奈良時代に各地の国府の近くに建てられはじめ、この日向国分寺は8世紀半ばに建立という。
しかし、今は礎を残すだけ。
この変遷をみつめてきたであろう、いちょうの巨木が若葉を湛えていた。

まだ、木の香りのする「木喰五智館」に一歩足を踏み入れると
足がすくんだ。

如来像1.jpg坐像とはいえ、3メートルはあるだろうか、重量感のある仏像がずらりと並んでいる。

あたりは誰もいない。

「おまえはだれだあ」と声が聞こえたような気がした。

勇気を出して、正面の大日如来の前にきて一礼し、顔をあげると、

左右がアンバランス。
眉毛はみごとな三日月型。
大きなまぶたをとじ、
お鼻はで~んとすわっている。
めくりあがった厚いくちびる、
福々したお耳。
やわらかい肩のライン。
衣のドレープは繊細。
手の表情が美しい。

これが木喰の「微笑仏」か・・・。

はじめは圧倒されたが、どことなく愛嬌のある面立ちに、思わず笑ってしまった。

如来像2.jpg右隣は阿弥陀如来と釈迦如来、左隣は薬師如来と宝生如来
如来さまがた、ふっふと肩で笑っているように見えた。

災害にも戦災にもあわず、よくぞまあ、ご無事で。

比木神社

比木神社.jpgうちから車で20分ほどいった木城(きじょう)町に、今から1800年も前に建てられたとされる比木神社がある。

ご祭神は、オオムナチノミコト、ミホツヒメノミコト、コトシロヌシノミコト、スサノヲノミコト、クシナダヒメ
までは、おなじみのお名前なので、ふむふむとわかるが、
もうひとかた "福智王" が名を連ねている。

福智王は、6世紀から7世紀にかけて今の韓国西部にあった百済の、王族だったらしい。
歴史の教科書には必ず書いてあり、試験問題に、何年にありましたかって出る「白村江(はくすきえ)の戦い」あたりで敗れて、日本に逃れてきた。(答え;663年)
父禎嘉王はもっと北の南郷町神門神社に、母之伎野(しぎの)は隣町の高鍋町大年神社に祭られている。

異国の貴人で、逃れてきたのに、神社に、日本の神様方と一緒に、祭られている!
おまけに、年に1回、父禎嘉王と息子福智王を結ぶ師走祭りが、今だに行われている!

たぶん、世捨て人のような生活していたのではなく、表に出て、よっぽど徳のあることをされていないと、ちょっとこうはならないと思うんだけど。

クスの巨樹.jpg参道脇のクスの巨樹にはなんの柵もない。
普通、境内のご神木は、人から切り離してあるようなしつらえがしてあるところが多いのに。
思わず、ぺっとり手をさしのべてしまった。

周りを見渡すと、人は誰もいないのに、何か活気がある。
神社めぐりをしていて、ここには神様おりやらん、と思うところあるのに、比木神社は、おりやる。
脈々と先祖代々守ってきたぬくもりが感じられた。

春日神社

春日神社.jpgこのほど、日南鵜戸神社の第11代宮司となった本部雅裕さん、新富町の春日神社の宮司さんをしていらした。

それだけだったら、あっそ、で終わっていたのだが、この春日神社、なんと800年も続いているらしい。

春日神社かあ・・・どっかで見たなあ、と地図を眺めたら、いつもうなぎを食べにいくので通る道沿いにある。
そういえば、思いっきり「春日神社」と大書した看板があったな。
あそこか、と行ってみた。

奈良にある春日大社の分社なので、ご祭神は同じアメノコヤネノミコト、タケミガヅチノミコト、フツヌシノミコトそれにヒメガミの4神。
とくに、アメノコヤネノミコトは、アマテラスオオミカミが天岩戸にお隠れになったとき、神々を指示して祭典を行った力量の持ち主なので、神事の宗源にあたる神様として敬われているらしい。

800年も続いているということは、鎌倉時代からあるのだから、どんなに古いのかと思ったら、30年ぐらい前にここに移転したので、朱塗りがまだ鮮やかなお社。

先日"ご利益のある参拝のしかた"という本を読んだので、ばっちり、それにのっとってお参りをした。

完璧だね!と自画自賛していたら
ビービービー、と静寂をつきやぶる音響・・・
ケータイ切るの忘れてたっ!
神様、ごめんなさい・・・

南方神社

うなぎの入船.jpg先日お参りした速川神社と石貫神社の間あたりに、知る限り行列ができてるお店がある。

うなぎの『入船』
構えの、はではでしさもなく、狭くもなく、ごく普通の2階建てのお店屋さんだが、別棟に待合室があって、休日ともなると、そこで1時間待ち。うなぎの日なんて2時間待ちとなる。
駐車場は、西都市役所の駐車場より広いんだから!

宮崎にきて気がついたのだが、うなぎやさんが多い。
ただ、東京のうなぎと違って、焼くから少し硬い。
父は、関東風の蒸したふんわりしたうなぎが好きなので、口に合わなかったみたいだが、一緒に出た、ごじるとつけもの、それと白いごはんのうまさには感嘆していた。

その入船の前にある南方神社。

以前夜うなぎを食べに来たとき、待合室が混んで入れなかったので、時間つぶしに神社でやっていた縁日を覗いた。
ちょうどそのころ、NHKで放映していた時代劇ドラマ「蝉しぐれ」の縁日のシーンに似ていて、ふとタイムスリップしたような気がしたっけ。

ここの縁起は探したのだがわからない。

南方神社とクスの巨木.jpgお社の敷地は広い。
ここには、国指定天然記念物になっている樹齢1000年以上のクスがそびえている。
幹のまわりは10mを優に超えると書いてあった。

近くの、コノハナサクヤヒメが祀られている都万神社にも、クスの巨樹がある。

ひむか神話ロードを丁寧につなげていくと、古代人たちが、縦横無尽にこの地で生きていた証がみえるのだろうなあ・・・。

石貫神社

石貫神社.jpgふうちゃんのホームページをちらりと見たら、石貫神社という字が目に入った。

先だって参拝した速川神社に行く途中にあるようだ。
いってみよっと!

地図だけたより、表示もなんにもなかったので、行き過ぎてから、やっぱりあそこだったかな、と引き返し、路なりにすすんでいくと・・・あった!

鳥居前で一礼し、参道両脇菜の花に彩られた、砂利路をざくざく踏みしめながら進んでいくと、村の鎮守の神様、といういでたちのこじんまりした社があった。

コノハナサクヤヒメの父君オオヤマヅミカミが祀られていた。

ここら一帯の長(おさ)だったオオヤマヅミカミは、鬼から娘を差し出すよういわれて、一夜で石造りの館を建ててほしいと頼む。
鬼はがんばって建てた。
でも嫁にやりたくない父親は、こっそり石一個(なんていっても大きいが)取って、ぽーんと放りなげ、「でけちょらんやないか」と言って嫁入りを断ったという。

石!.jpgその石がここにある。


階段.jpgお社むかって左は、杉に被われた小高い丘になっている。
このあたり、プロ野球ヤクルトの選手が合宿して、長い階段を上り下りする映像をよく見るのだが、どこやろか、と探すと、あった。


上りましたよ・・・
へーひーはー・・・
誰かあーっ!私を負ぶってえーっ!
・・・といいかけたとき、170段上りきり、ここはどこじゃと見渡すと・・・
なんと!西都原じゃないの!

西都原.jpgどういう位置関係だ???

オオヤマヅミカミは西都原一帯をおさめていたのか・・・
鬼がつくったという館は、西都原にある『鬼の窟古墳』のことか・・・

やっと頭の中で整理がつきました。
『ひむか神話街道』は奥深いね。

速川神社でお守りを買う

速川神社でお守りを買う.jpg「速川神社は、ひとつだけ、願いごときいてくださるげな」

と言いましたら、ヒカリねーさんと厨房やの女房みちこさんと、うちの派遣さんのちかこさんが、
「いくいくっ!」
と名乗りをあげたので、20日のお彼岸の日、4人で行って来ました。

正月に夫とお参りに初めて行きましたが、まあ歩いた歩いた。
ですから、歩きやすいスニーカーみたいなのを履いてきてね、とメールしたのに、みちこさんは、いつもと同じハイヒール!
「メールに書いたでしょ!」
「出だししか読んでないの・・・」
「崖から足すべらしても、しらないよ」
「・・・がんばる・・・」

お正月と違って、人もまばら。お天気も気候も、実に気持ちのいい日で、うきうき、ピクニック気分。

でも、やっとのことで神社について、神殿で卵とろうそくをお供えしてからは、皆さん真剣です。
なにがなんでも、きいていただかなきゃ、と、長いこと、ごにょごにょ・・・。

社務所でお守りを買うときも、願いごとと値段を細かに吟味。


さて、お願いごとですが・・・うふふ・・・翌日さっそくバッチグーの結果が出た人がいるのよ!
すごいでしょ!

村角の高屋神社

村角の高屋神社.jpgうちの近くにある高屋神社と同じ名前の神社が、宮崎市内にもあるという。

高屋神社は、景行天皇の行幸先の旧跡と伝えられているが、神社縁起として伝わっているだけで、場所も事実も確たるものではない。

先日西都のに行ったので、今度は村角(むらすみ)のを探し当てていってみると、やっぱりくたびれた社だった。
天気もよくなかったせいか、"景気のいい神社"で感じられるような、背筋を伸ばしたくなるような雰囲気がない。

石の像1.jpgまわりを見渡すと、石に像が刻み込んであるが。
こっちの2つは装束がかわっている。直衣でもなく、狩衣でもなく、直垂でもなく、たら~んときているが、顔はしかめ面をしている。
あっちの3つは、昔人々がお参りしていたのだろうか。猿田彦と読める。
石の像2.jpg

あんまり侘しいので、「神さまあ~、おりやっとですかあ~」とちっちゃい声で聞いてみた。

「お~っ」

・・・と返事はなかった・・・。

江平子安観世音

江平子安観世音.jpg宮崎市の繁華街から少し離れた、マンションやパチンコやさんに囲まれた一角に、ひっそりと江平子安観世音がある。

江戸中期に谷口丹後入道宗須という偉いお坊さんに寄って開基されたという。
"子安"と言うくらいだから、当然産前産後の女性たちが参る。
無事男の子を出産した、工具やの娘さんも行ったのかな。

縁日になると、女性たちだけではなく、男も子供も参る。

毎年暑い盛りの7月17日と18日が大祭。

おいが小学校低学年のとき、学校で「今日は江平のお祭りだよ」と友達から聞いた。
家に帰ったら、きっと宿題じゃあなんじゃと言われて、きっと連れて行ってもらえないだろう。
だったら、学校帰りに直接行ってしまえと、子供の足で1時間以上かけて、ひとりで観音さんのお祭りに行った。

ランドセルは、途中でマンションのごみ置き場に隠した。

人の賑わいに目をうばわれ、時間がたつのも忘れて、お店をひとつひとつ見て回った。
気がついたら夜になって、お腹もすいた。
ちらっと家のこと考えたけど、怒られるし、まだ人がたくさん出ているから、まっいっかと、知らない子の仲間に入って遊んでいた。

そのころ家では大騒ぎ。
学校はとっくに出たというのに、8時をまわっても帰ってこない。友達の家に電話をしたがどこにもいない。警察に捜索願いをだした。

夜10時すぎ、お腹がすいてたまらなくなって、ものほしげに、カキ氷やのおじさんを見ていたら、小さい氷を少し分けてくれた。

田んぼの溝でも落っこちたのではないかと、親戚一同駆りだされて、真っ暗な田舎道を探し回る。
パトカーも出て、大捜索となってしまった。

すると1台のパトカーが、子安観音のところでぽーっと立っている小学生を見つけた。
にこにこしながら、パトカーに向かって手を振っている。
「迎えにきてくれたんだね」とパトカーをタクシー代わりにして、時計の針が12時をまわるか、というころ家に戻ってきた。

明日は、その"穂が無い"おいの二十歳の誕生日。
いつぞやのお礼と、おかげさまでここまで無事に育ちましたと、報告に行ってきた。

黒貫の高屋神社

黒貫の高屋神社.jpg日本書紀や古事記に登場する、古代国家統一したとされる景行天皇は、妃とされる方あまた、御子にいたっては男女80人!という豪傑であらせられる。

その景行天皇は日向の国にこられ、6年ぐらいおられたらしい。
お住まいとされた神殿は、高屋。
ところが”高屋”は、西都市にひとつ、宮崎市にひとつある。

我が家の裏山をずーっと抜けていくと、高屋温泉にたどり着く(はず。今はたぬき道しかないけど)。
つまり、うちの近くに高屋神社はあった。

地図を見ながら車を走らせたら、毎日毎日10年以上通勤している道筋にあるじゃないの!
それも、大きな字で”高屋神社”とかかれている。
てっきり、”村の鎮守の神様”程度かと思っていた。

階段を上がる.jpg神社の前にたつと、人影はもちろん、神影も感じられない。
社のまわりには、ごみがちらばり、建物の下には、掃除用具が投げ込まれている。

鹿野田神社に行ったときも感じたが、村でささえていたものが、消えかかっているような気がする・・・。

水沼神社

水沼神社.jpg我が家から車で15分ほど行った新富町にある水沼神社。
名前の由来どおり、神社の裏に回ると、夏は蓮の花で満ちる沼-湖水ヶ池-がある。
耳をすますと、海鳴りが聞こえる。
沼の向こうの土手を越えると、日向灘がひろがっている、そんなロケーションだ。

境内に由緒が書かれている札は見当たらないのだが、ミズハノメノカミ、クラオカミノカミ、ナルイカズチノカミの3柱が御祭神。
有名な神様ではないが、国生みのイザナミ・イザサギにかかわる神様がたである。
役割は水を治める神様、雨を司る神様、雷鳴の神様と”水沼”の名にふさわしい。

湖水ヶ池.jpg民家の庭先のような細い参道を抜けていくと、沼の水から朝方の光の反射をうけた神社が現れる。
注連縄(しめなわ)は青々して房も大きい。めずらしいと思った。

ここにも龍神伝説があるという。正月行った速川神社も龍神が住む。
今年は龍神にご縁があるらしい・・・。

速川神社

速川神社.jpg「お願い事を一つだけ叶えてくださる神社があるって」
「どこよ?」
「杉安橋を越えて、一ッ瀬川沿いにある速川神社」
「前行ったことあるよね。へ~そうなんだ。」

ということで、夫と3日に行ってみた。
二人が思い浮かべていた神社は、川沿いで、駐車場に車を止め、広い階段をあがっていくと開けたところにある地味な建物。

ところがどっこい、それはいったいどこの神社だったのでしょう。
速川神社は川の向こう側の山の中腹にあり、まず、川におりていき、長い橋を渡り対岸についたら、今度は、えんえん細い道を登る。

対岸を望む.jpgこの神社のご祭神は、セオリツヒメ、ハヤアキツヒメ、イブキドヌシ、ハヤサアウラヒメの4柱。
ぜんぜん有名ではないが、お払いの神様がただそうだ。
人が清らかな心になって罪や穢れを祓い、敬虔な祈りをささげれば、神様は一つだけ願いを聞いてくださる・・・ということらしい。

「だれかあ、私をおんぶしてええ!」と言いそうになったとき、ちんまりした神社が目の前に現れた。

ふつうにお参りして、神社のわきにまわってみると、おばちゃんが卵を包みからたくさん出している。
「これ何するんですか?」
「卵2個とろうそく1本を、本殿にあがってお供えするのが、正式のおまいりなの」

えっ!そりゃせにゃ、何しに、ここまでたいへんな思いして来たか!

夫と私の共通のたったひとつのお願いを聞いていただくべく、卵2個ろうそく1本100円で買って、本殿に上がり、心を込めてお願いした。

あとでわかったことだが、速川神社の周辺にある男滝・女滝・蛇滝(龍神の滝)等と称する七滝のうち、龍神にささげる卵として奉納するらしい。

さて帰り道、心は軽やかなのだが、足と顔は引きつりそうになって、ようやく車道にたどりついたときは、荒行をして罪や穢れがすっかり落ちた気分だった。

今年の目標のひとつに追加、体力をつける・・・。

9日に行った十日恵比寿

恵比寿様の熊手と御札.jpg宮崎市中村町にある恵比寿様には、毎年1月9日の昼前に行く。

すいているのと、1本100円のくじびきがゆっくりできるからだ。
腰をくねくねしている30センチほどの恵比寿様のお人形が、おいでおいでしている窓口で、10本分のくじ券を買った。

9日はこしゃちょうママのお誕生日でもあるから、よっしゃあと気合を入れて10枚、箱の中から三角のくじを選んでいるとき、ふと振り返ったら、テレビカメラが私を映している!

「当たるところを映したいので」とおっしゃるが、実はこういうの、あたったためしがないの。
・・・1枚1枚開けていったら、みごとに!全部!空クジ!ねっ!

でもここの恵比寿様は寛大な方で、空クジでも商品はいただける。
10こ、うどんやら小さいお菓子やらいただいて、こしゃちょうママのプレゼントになりました。

熊手と御札はちゃあんといただいて、お賽銭もはずんできたので、今年も「商売繁盛、笹もってこいっ!」

榎原神社

榎原神社.jpg正月2日、日南の友人宅に行くついでに、初詣に宮崎神宮に行こうと夫と出発。

これが、甘かった。
なんで車が赤信号でもないのに動かないのよと思っていたら、参拝客の車で大渋滞!
駐車場に入るには、かなりな忍耐が必要そう。

それじゃあ、鵜戸神社に行こうと、コバルトブルーの日南海岸のわきを走る道を快調に飛ばしていき、はるかむこう、鵜戸さんと臨むあたりを見たら、これまた車が大渋滞!

今日はあきらめようよ、と夫は言うが、いやいや、こちら南あたりに”ご利益のある”神社があったはずだと、う~んと考えた。

・・・ありました!
南郷町の榎原(よわら)神社。

飫肥三代藩主、藩主伊東祐久が鵜戸神宮の分霊を祀った神社だから、鵜戸神社に行ったも同じね!

楼門.jpg宮崎の神社は、わりと華やかな色彩の社が少ないが、この神社は朱色が美しい。
お寺にあるような楼門もめずらしい。

二礼二拝一礼、お賽銭をはずみ、みなが健康であること、よきことがあるよう力添えをお願いして、初詣完了!

おみくじは・・・大吉!へへっ!

住吉神社

住吉神社
シーガイヤ近くの松林に囲まれた中に、住吉神社はある。

日本全国各地に住吉神社は存在するが、いずれも海の神様である住吉三神、ソコツツノオノミコト、ナカツツノオノミコト、ウハツツノオノミコトを祭っている。
つまり海の近くにあるっていうこと。

姑あらんだまばーちゃんが言うには、小学校のとき、家(私たちが今住んでいる地区)からここまで、遠足で来たという!
なんで”!(びっくりマーク)”がつくかと言うと、これが尋常な距離ではない。
子供の足で、朝6時に学校を出て、昼について弁当食べ、暗くなって学校にたどりつく・・・てな感じだろうか。

ばーちゃんは幸いにも家から小学校が近かったからいいが、さらに1時間とか1時間半とか通ってくる子たちは、いったい何時に家を出、何時に家についたのだろう。

まさしく"遠足”。遠いところへひたすら足を運ぶ。
時間はたくさんあったけど、歩くしかなかった時代のことに、ここに来るたび思いを馳せる。

おみくじ
お賽銭箱の脇におみくじがあった。
50円。安い!お金はお賽銭箱に入れてねってある。

一番手前にあったのを手に取った。あけたら・・・本業をよくまもって静かにときの来るのをまちなさい・・・ですって。んんんん・・・神様、ちゃんと見てるね・・・。

屋敷の祠(ほこら)

小さい祠
田舎の家屋敷には、広い分、田の神様や水の神様はじめ、たくさん神様がおりやる。

近所の90歳を過ぎたおばーちゃんは、知らん家にあがりこんで、「はさみ取ったやろ」とわけのわからないこと言っては家人に叱られているが、朝晩、自分の屋敷内のあちこちにおりやる神様に、お茶とご飯を上げるのだけは、365日忘れない。
長年の農作業で二つ折りになった身体で、お盆をかかえ、10何人?の神様に、順番もたがわずご挨拶をしてまわると、1時間以上かかるらしい。

”儀式”が終わってから、ようやく自分のご飯にありつける。
「これだけたくさんの神様が守ってくださってるから、多少呆けても元気なのよ」と私と同年代のお嫁さんが笑いながら言っていた。

隣家の小高くなったところにも、ひっそりと小さい祠がある。ここは84歳のおじの守り神らしい。

もうじきお正月。神主さんが来て、神様がたの注連縄(しめなわ)と紙重(かみしで)がすべて新しくなる。
今年も、あとわずか・・・。

小戸神社

小戸神社
大淀川淵にある小戸(おど)神社は、夫が子供のころ、遊び場のテリトリーだった。

境内で相撲をとったとか、虫取りあみでセミをとったとか、友だちと”とりもち”を使って賽銭箱から賽銭をとったとか(この罰当たりがっ!)

ボーイスカウトの支部がここにあって、お泊りの集会はわくわくしたとか

時間を忘れて遊んでいて、かあちゃんの「ご飯よ」の声に、うわあ、たいへんだあ、遅くなったと転げるようにして家に帰ったら、すでに食卓についているとうちゃんの機嫌が悪くなっていて、ご飯がのどを通らなかった、なんて境内を散歩しながら、懐かしそうに話してくれる。

賽銭箱
5世紀ごろの景行天皇の勅命で創建された、たいへん古く由緒ある神社である。
主祭神はイザナギノミコト、つまりアマテラスオオミカミとスサノオノミコトの親神さま。
子供たちの遊ぶさまを、おもしろそうに見守ってくださっていたのだろうか。

写真を撮りにいったときは、清々しい秋晴れの日で、境内の砂利がきれいに文様が描かれていた。

今は参拝者も見かけず静かだけど、あと1ヶ月もしたら、お正月。にぎわうんだろうなあ・・・。

鶴見の総持寺

総持寺参道
「お寺に行くよ」と子供のころ、祖父母から言われると嬉しかった。

神奈川県横浜市鶴見にある曹洞宗総本山総持寺に、ご先祖さまが眠るお墓がある。

参道の脇に、今でこそ鶴見大学が建ったが、幼い弟とかけっこした道は今もかわらない。
広大な境内には仏殿、大祖堂など、たぶん歴史的に重要な文化財が並んでいるであろうが、子供にとっては、いっくら駆けずり回っても叱られない、大好きな場所だった。

昔受付だった建物
古い建造物を江戸時代の風景に見立て、ときどきチャンバラの撮影が行われていた。もしかすると、テレビや映画に映るかもしれないとうろうろしたら、「はい、どいてどいて」と追い払われた。

朝早いと、静寂につつまれた薄暗い板の間で、座禅がくまれていた。
法要に、にぎにぎしい鳴り物もない。
でも、本堂に整然と何百人居並ぶ僧侶の読経のとどろきは、子供心にも感動した。


うちのお墓は、とある一筋の突き当たりから手前ひとつ。
あるとき、そのお墓の場所が、一番奥になっていた。またあるとき、反対側に移っていた。
母は、お墓はときどき動くのよ、と幼い弟と私に言った。
動いたのは2回・・・。そんなばかな・・・。あれは私の夢?

渡り廊下
「そんなことあるわけないじゃないの」
それから10年あまりして、祖母の墓参りのとき、雲つくような大男になった弟に母は言った。
弟はけげんそうな顔をして、私を見た。
「あれ、あんたも聞いてたの?」

弟も目撃していた。お墓は2度動いてた・・・。

都於郡城跡

都於郡城跡
都於郡は”とのこおり”と読みます。

その昔、ここ一帯は伊東氏が治めていて、都於郡に城を築き、まわりには士族が住んでいたので士中。もう少し離れると、中間原という地名があり、身分による住み分けが想像できます。

天正遣欧少年使節団でヨーロッパに渡った少年伊東マンショは、伊東氏の一族。
郷土の誇りであり、地区の小学校では詳しく習うと聞きました。


さてその城のお祭りが、高台にあるこの城跡で11日にありました。

武者行列
メインイベントは恒例の都於郡小学校の子供たちの”武者行列”。
遠目には、とてもダンボールと紐で親が夜なべで作ったとは思えない鎧兜を、男の子も女の子も身につけ、「えいえい、お~!」と雄たけびを上げる様は、伊東氏の末裔にふさわしい(かな)

朝の9時から4時ぐらいまで、保育園の子供たちのお遊戯やカラオケ大会、四半的大会、出店、せんぐ撒き・・・。
天気がよかったことも幸いして、地区のたいせつな行事が無事、滞りなく終わりました。

この都於郡城の整備開発に、隣家のおじが作業員として携わったとき、不思議なことがおこりました。
土を掘り起こす作業をしていたおじの足だけが、勝手にばたばた動き出して、止まらなくなった!
踊るようにして家に戻ると、それを見たおばが、「こりゃぼくじゃ(たいへんだ)!」とお経を一心に唱えたら(医者に連れて行くのではなく)、ぴたっとやんだそうです。

この城は、実は、伊東氏がヒコホホデミノミコト(山幸彦)の陵墓を壊して造ったと謂れのあるところで、長い年月たっても、なんかがあっど、というのが、もっぱらの話。

伊東氏の墓は、この城から少し離れた木立に囲まれたところにあり、地区の班長が年2回お掃除に行きます。
夫と私が班長のときは、大きな台風が来た後で、大木が倒れたり、惨憺たるありさまでした。
いくつも墓石が並んでいるなか、ぽこっとなくなっているところがありました。
台風でころがったのかと思いきや、鹿児島に住む子孫が、トラックで持って行ったそうです。
残ったご先祖さまが寂しかろうに・・・。

一ツ葉神社

一ツ葉神社
けっこう気に入ってる珈琲屋さんの「詩季」の隣にある、一ツ葉神社。すぐそばにイオンができて、道が込むので、どちらにも最近ご無沙汰だ。

先日、免許の更新に行った帰り、久しぶりでおまいりに行った。

一ツ葉神社はお稲荷さんである。ご祭神のおひとりがウカノミタマ(倉稲魂命)、つまり稲荷神さまだからかな?
稲荷神社は、商売繁盛の象徴である、たくさんの鳥居が献納されている。くぐれどもくぐれども、というわけではないが、宮崎では著名な企業の名を記した鳥居が連なっていた。

鳥居
くぐり終えると、銭洗いの社があるではないの。
札束出して、ざぶざぶ洗うのもみっともないので(というより持ち合わせがない)、小銭を2,3枚洗って増えますように増えますように・・・。

近くにある一ツ葉浜は、夫が子供のころ遠足の定番地だったという。
夏海水浴で、彼の亡き母や兄弟4人で仲良く写っている写真も、確かこの神社の奥だったはずだ。

コーヒー飲むついでに寄る神社でしかない私とは違う思い出が、地元で育った夫にはある。

鵜戸神宮

鵜戸神社
日向灘を左手に南下していくと、日南市に入る。
断崖絶壁をくり貫いた洞窟に、鵜戸神社は、すっぽり入っている。

ここでヒコホホデミノミコト(山幸彦)の息子、ウガヤフキアエズノミコトが生まれたという。
お母さんはトヨタマヒメ。子を産む姿は見ないでね、と夫にお願いしたにもかかわらず覗いたら・・・
彼女は”ワニ”の姿で這いずり回って、子を生んでいた。
夫は仰天!妻は恥じ入り、実家に戻ってしまった。

この「見てはだめよ」と妻が言うにもかかわらず、夫が「ちょっとだけよ・・」と覗いて、夫婦生活がばーんと破綻という例は多い。イザナギイザナミしかり、『夕鶴』のつうとよひょうしかり・・・こらえ性がないんだから。

断崖絶壁
母においていかれた赤ちゃんは、母の妹タマヨリヒメに育てられ、長じて彼女と結婚をする。そして生まれたのが神武天皇ら4皇子。彼らは日向美々津から大和へ船出をする。

私の目に映っている壮大な海と空は、山幸彦もトヨタマヒメもタマヨリヒメも神武天皇も、同じものを見ていたのではないか。神武天皇4兄弟が東を目指した気持ち、解る。

筥崎宮

筥崎宮
先週、福岡に講習会を受けにいったのだが、早く着きすぎ、近くにあった筥崎宮に足を運んだ。

本殿正面は、まるでお寺の山門のようなどっしりとした構え。囲む塀の中をのぞくと、大名のお屋敷のようだ。
正式名称は筥崎八幡宮だから、ご祭神はもちろん応神天皇。それから母君の神功皇后、となぜかタマヨリヒメ。海が近いからかな。

楼門に掲げてある『敵国降伏』の勇ましい文言が書かれた額は、蒙古襲来この地で防いだからかと思ったら、平安中期にすでに醍醐天皇が下賜されたげな。200年ぐらいタイムラグがあるけど・・・。

湧出石
初めて行ったものだから、あちこち物珍しそうに見ていたら、『湧出石』という石が、地面からちょこっと出ている。この石に触れると運が湧き出る、うんぬんと書いてあったので、身体をふたつに折って、柵をこえ、えいやっと右手で石に触った。ちょっと足りないかもと、今度は左手でもべっとり触った。わき腹がつった・・・。

その横に『お潮井』という真砂がおいてある。身に振り掛けると災いから逃れられるというので、これもぱっぱとおもいっきり振りかけ、お持ち帰り用に少しいただいた。

お賽銭もはずんだし、これだけすれば、この1年、ばっちり運はもらったねっ!

大宰府天満宮

鳥居をくぐって
先週、福岡に講習会で行って、ついでに九州国立博物館を見てみよ、は予定していたが、太宰府天満宮の奥にあるとは知らなかった。

大宰府天満宮
今日は、受験の神様として大もての福岡の太宰府天満宮の話。
祭られているのは、ご存知、学問の神様、藤原道真公。平安時代中期、この地に流刑となり、生涯を終えた。

ご利益に預かろうと、受験のご祈祷でさぞやごったがいしていると思いきや、人はたくさんいるものの、「ヨボセヨー」とか「ニーハオ」とか「チョゲヨー」とか「アランダマー」(はない)が飛び交っている。
そうか、海を隔てて近いから、ここはあちらからのお客様も、たくさん来るのよね。

ご祈祷
お賽銭をいれ、柏手うったところで、「かしこみかしこみ」が始まった。おっというように、あちらの言葉の観光客が集まり、一斉にカシャカシャカシャとシャッターの音がする。かわいらしい巫女さん、裾のしわなんかのばしちゃって、カメラを十分意識しているね・・・。

本殿の後ろにまわってみたら、そこは人影もなく、ひっそりとしている。巨大な老木の間に、ほこらがいくつも立っていた。
見ていくと、道真公の子供たち、親類、先祖、従者、そしてアマテラスオオミカミをはじめとする神々も祭られていた。
壮大な本殿を、手をつなぐように囲み、数え切れないお願い事を、もれなく皆で聞いているのかな・・・。

青島神社

青島へ渡る
毎年巨人軍が、春のキャンプで来県したとき、"神頼み”にいくのが、青島神社。
今年は神頼みが、ちょっと利いたらしい。

貝の砂
干潮のときは、鬼の選択板の海を歩いて、貝取りやカサゴ釣りをしながら行ける青島。南国とおりすぎて、ハワイでもきたんじゃないかと思えるような、亜熱帯の植物がうっそうと茂っている。
島にわたると、砂が貝殻の細かく砕いたものに変わる。よく見ると踏むのがおしくなるくらい、かわいい貝がたくさんある。

青島神社
島に鎮座まします青島神社のご祭神は、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)と奥方のトヨタマヒメ、とシオヅツノオオカミ。起源は1200年も昔にさかのぼるらしい。

ヒコホホデミノミコトは浦島太郎、トヨタマヒメは竜宮城の乙姫様と、いってもいいくらい二人が出会ういきさつは似ている。もっともヒコホホデミノミコトは、亀ではなく鰐に乗ってかえってきたらしいし、箱を開いておじいさんにもならなかった。

巨人軍の願掛け
来年の2月のプロ野球のキャンプ入りは、巨人と東国原知事で、さぞやここはごったがえすのだろうな・・・。

立磐神社

立磐神社
日向に仕事に行った帰り、美々津にある立磐(たていわ)神社に寄ってみた。

先日さーやさんが、ブログに『おきよ祭り』のことを書いておられたが、そのお祭りの主役がここ。
旧暦8月1日「おきよ、おきよ」と声をかける、というのを「お清よ、お清よ」かと思っていたら、「起きよ、起きよ」でした・・・。

ヒコホホデノミコト、通称山幸彦の孫のカムヤマトイワレヒコノミコト、つまり神武天皇が東征の折、ここから船出をしたという。

日本海軍発祥の地
だから、日本海軍発祥の地、という大きな碑もそびえたっている。
日本の海軍の始めは、幕末、勝海舟が神戸に建てた海軍操練所だと思っていたので、ちょっとびっくりしたが、水軍を海軍と置き換えれば、成り立つわね。

御腰掛石
この神社は耳川の河口にあり、潮風にあたって、神社は少しくたびれている。
神社を背に海を向くと、はるか東方かなたを目指した神武天皇が、腰掛けて指揮をとられたという”御腰掛石”がある。

それやこれやを考えると、やっぱり”神々のふるさと”は、宮崎になるよね。

宮崎八幡宮

宮崎八幡宮
今話題沸騰の宮崎県庁のすぐ近く、閑静な住宅街にある宮崎八幡宮。

以前カットしてもらっていた美容師さんから、商売の神様だから、行っておくといいよ、といわれたのがお参りの始まり。
それまで、源頼朝が鎌倉鶴岡八幡宮に八幡神を迎え、武神として敬拝していたとおそわっていたので、戦さの神様かと思っていた。
まあ、家内安全、商売繁盛、無病息災、日本の神様は寛大だから、なんでもいいのよ。

”八幡”と名がつく神社は”稲荷”と名のつくのの次に多いらしい。
八幡神社の主祭神はどこも、ホンダワケノミコト、つまり応神天皇。

社横から
神社に行っても、お賽銭をあげるぐらいで、たいてい、おみくじもひかないし、お守りも買わない。
でも、いつだったか、この神社で、かわいい猫が入っているおみくじを見つけた。
思わず引いた。大吉!愛猫くろすけくんそっくり!また来て引いた。大吉!!愛猫ちゃぼちんそっくり!またまた来て引いた。大吉!愛猫るんちんそっくり!!!

だから、この神社、私だ~い好きっ!

生目神社

生目神社
プロ野球、福岡ソフトバンクがキャンプをする、宮崎市生目(いきめ)の森総合公園の近くにある。

字のごとく、目の病気に霊験あらたかと、全国から参拝者がある。ここで売っているお水で目を洗うといいげな。我が家の近所のじーちゃんばーちゃんは、ほとんどやってみている。効果の程は・・・窮すれば通ず、いや信じる者は救われる、いや・・・やめとこ・・・。

社横より
ご神体はホムダワケノミコト、歴史の教科書だと応神天皇という名前。それと藤原景清公、この方知らない。

クスノキ
雨の朝早くにもかかわらず、竹箒で掃くしゃっしゃっしゃっしゃっという音が、あちこちから聞こえていた。掃いた後の参道や社のまわりは、すがすがしい。

オガタマノキ
神社裏手、向かって右手にクスノキ、左手にオガタマノキの老神木。この高台から、学ばない人間のおろかな業を見続けているのか・・・。

江田神社

江田神社
神事のとき、必ず耳にする「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原の・・・」がここ。
シーガイヤのすぐそば、市民の森の一角に鎮座している。
祭られているのは、イザナギノミコトとイザナミノミコト。そう、日本の国生みをしたご夫婦の神様。
この神社が作られたのはとても古い。10世紀の初期に完成した文献、延喜式に載っている。

社横から
猫に連れられ
この社裏手の小道を行くとみそぎ神社、その先にみそぎ池がある。
イザナギノミコトが亡くなった愛する妻イザナミノミコトを追って黄泉の国にいき、おどろおどろしい妻を目にして仰天!命からがら帰って、穢れをはらったというところだ。

左目を洗うとアマテラスオオミカミ(太陽の神)、右目を洗うとツクヨミノミコト(夜の神)、鼻を洗うとスサノオノミコト(海の神)、が生まれた。
ということは、この古事記のスーパースター3人、じゃなくて3神様は、おとうさんから生まれた?宮崎県宮崎市出身?地上で生まれ高千穂に行って天駆けた?

・・・まあ、そういうごちゃごちゃしたことは横に置いておいて、この神社、華美なところが少しもなく、素朴なたたずまいが心ひかれる。

みそぎ神社
たいして大きくないみそぎ池の周りをあるきはじめたら、どぼんどぼんと、ひっきりなしに飛び込む音がする。ずいぶんたくさん鯉か鮒がいるんだなと思ったら、・・・亀・・・。
みそぎ池
なんかへんなのが来たと、次々にダイビングしていた。
亀は万年というから神代の昔から・・・いやいやまだ8年ぐらいのばっかりでした・・・。

鹿野田神社

鹿野田神社
うちの地域の氏神様らしい。らしいというのは、私たちは班には入っていても、農家ではないので、氏子にはなっていないのだ。

かのだじんしゃ。みんなそう呼ぶ。じんじゃ、と濁らない。
祭られているのは、ヒコホホデミノミコト、通称山幸彦。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの三男。

塩水の井戸
ここには不思議な井戸がある。日向灘から10キロも離れているのに、水は塩辛く、水面の動きが、潮の満ち引きと同じなのだ。太古の昔からそうだったという。

太古の昔と違うのは、この水1升1000円也。

農業従事者の高齢化や空白化で、氏子がどんどん抜け、維持費もままならないようで、あちこちガタがきている。
宮崎にはりっぱな神社がたくさんあるが、ローカルなのは、だんだんこうなっていくのね。

都萬神社

都萬神社
家から車で10分ほどのところに都萬(つま)神社があります。
祭られているのは、コノハナサクヤヒメ。名前も美しいですが、彼女の美貌によろめいた天孫ニニギノミコトが「ぜひ嫁にっ!」
この二人が結婚式を挙げたのが、日向二之宮である都萬神社。日本で初めての正式な結婚式を執り行われたことから、縁結びの神社として有名だそうです。

クスの老大木1
神社の敷地には、1100年もの間、時の流れを見てきた、クスの老大木があります。
あちこち朽ち果て、支えがないと立っていられないような状態ですが、スピリチュアルの大家、江原啓之氏は、木に宿る妖精が見えたげな。
私?いっくら目をこらしても、何にも見えませんでした・・・。

クスの老大木2
長いこと使っていた我が家の神棚は、昔父が買ってくれたもので、箱型。
自分たちは一戸建てに住んでおきながら、神様は”アパート”では申し訳ない。スーパーで売っているのは、なんかご利益なさそうだし、どこかにいいのはないかと探していましたら、この都萬神社に、と~きどき、樹齢200年ほどのヒノキから作った神棚が出るのこと。

数年前の年の暮れ、めぐり合えました。ヒノキの匂いもかぐわしい”新築一戸建て”
宮崎神宮から正月いただいてくる、御札が鎮座しています。

宮崎神宮

宮崎神宮
典型的な日本人の宗教心-クリスマスツリーを飾り、先祖の墓参りに寺に行き、お願い事しに神社の賽銭箱に小銭を入れる-しか持ち合わせていない夫と私だが、宮崎に越して、神社をまわるのが楽しみになった。

宮崎や隣県の鹿児島は、由緒正しい神社が数多くある。
木々に囲まれた参道を歩きながら、深呼吸するだけで、気持ちがすがすがしくなる。

今日の紹介は宮崎神宮。
祭られているのは、アマテラスオオミカミから数えて5代目、カムヤマトイワレヒコノミコト、こと神武天皇。通称、神武さま。

タイムスリップしそうな風景
ここで私が一番好きな光景は、神殿向かって右の、高床式の建物。
遠くから眺めていると、タイムスリップして、埴輪を生身の人間にしたような、美豆良(みずら)を結い、袴をひざ下で紐でくくったスタイルの男性や、頭の上で髪を結い上げ、ゆったりした裳をまとった女性が、ゆらゆら歩いているのが見えるのではないかと思うのだ。

Index of all entries

Home > 神々のおりやるところ Archive

Feeds

Return to page top