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神々のおりやるところ Archive
巣鴨のお地蔵さん
- 2008年11月11日 18:46
- 神々のおりやるところ

久しぶりのブログupです。
うちの会社のホームページと、このブログをリニューアルしよう!と、うちのスタッフさとちゃんパパがちょっと触ったら、ちんがら(壊れるってこと)・・・気合入れて直してもらって、ようやく復活しました。
まだ、”建築中”ではありますが、とりあえずオッケーです。
先週の水曜日、ポータルサイトサミットin静岡があるのに合わせて、仕事プライベートを組み合わせ、6日間ほど上京してきました。
高齢にはなりましたが、元気にしている両親のいる実家は、山手線巣鴨駅から歩いて5分。
たまに巣鴨駅におりたつと、ひゃ~っというほど、町並みが変わっています。
子供のころは、平屋の我が家の屋根にある物干し台から、まっすぐ富士山が見えたほど、高い建物はありませんでしたが、今は、ビルが城壁のように道路の脇を固めています。
駅から実家に向かう道とは反対方向に、巣鴨のお地蔵さんがあります。
地蔵入口までの並びは、ずいぶん店屋が変わりました。やおやさんはケータイ電話を売る店に、肉屋さんは雑貨屋さんに、洋裁店は食べ物やさんに・・・前はなんだったか、思い出せないところもあります。
巣鴨地蔵通商店街、これは嬉しいことに、あまり変わっていません。きっと、お年寄りの原宿として親しまれているからでしょう。
4のつく日は、縁日なので、今でもとてもにぎわいます。
小学校のころは土曜日、学校がひける午後、このあたりのお店を一軒一軒覗くのが、私の”きまりごと”でした。
大晦日の紅白歌合戦が終わると、「いくぞ」と父がお地蔵さんに初詣に出かけます。生まれてから結婚するまでの24回、恒例行事でした。
お地蔵さんについたら、まず線香を投げ入れ、煙に手をかざし、よくなってほしいところ、なおしたいところをなでます。たわしで洗う観音様は、いつも混んでいるのでパス。そのまま本堂に行って、賽銭を10円いれ、ごにょごにょ。大学入試のとき、遠くから賽銭を投げたら、ふちにあたって、入りませんでした。そのせいか、第1志望はみごとに不合格!
境内のベンチに座ると、ふっと小学生の私になっていました・・・。

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矢的原神社
- 2008年10月20日 18:44
- 神々のおりやるところ
何で見たのか忘れたが、宮崎の巨石伝説を廻る話のなかに、東(つま)霧島神社にある神石が割れて、びゅんと飛んだ先が、宮崎市内にある神社とあった。
それが矢的原(やまとばる)神社。
またずいぶん遠くまで飛んだもので・・・神社を探し当てて見てみたら、なんか気持ちの悪い、感じの悪い石。

怨念が小さく、うじゃうじゃとぐろを巻いているようで、色も石にあるまじき色で、鳥肌がたった。なんていう種類の石なんだろう・・・
この神社、霧島神社(たぶんこの地域の)、的石神社、原権現神社の3つの神社がひとつになったもの。
御祭神は山幸彦こと、ホオリノミコト。神武天皇のおじいさん。ニニギノミコトのお子さん。トヨタマヒメのご主人。
山幸彦伝説は、宮崎は本当に多いけど、こんな小さいこの地域の氏神様としても、おられたのね。
ついでにいうなら、この神社、お腹の神様って書いてあったけど、なんで?どこが?わからん・・・

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狭野神社
- 2008年10月11日 16:56
- 神々のおりやるところ
”軽く”車を走らせて見ることができる神社は、ほぼ行った。
残すは、宮崎が誇る高千穂の神々と、鹿児島県境にある霧島の神々。
そう、そこには超有名どころがぞろりとあるのだが、いずれも、ちょっと行ってくるわね、とは言いがたい距離にある。
たまたま高原(たかはる)に行く用ができた。
霧島を囲むように、霧島神社、霧島東神社、東(つま)霧島神社、霧島岑(みね)神社(夷守神社と合併)、狭野神社の六社権現がある。その入口にあたる高原、そして一番近い狭野神社なら、足が運べそう・・・。
早朝、雨が降りしきるなか、車からおりて、ぬかるみに足を取られながら進む。
参道は、たぶん何百年も、人間のいとなみを見下ろしてきたであろう、太い杉が並ぶ。
20分ほど歩いただろうか、静寂のなかに、飾らない、しかし風格のある神社が、右手に現れた。
御祭神は神武天皇、幼名狭野尊(サノミコト)
サノミコトは、この野山をかけずりまわって、遊んでいたのだろうか。
人気(ひとけ)がまったくない、雨音ですべての音が消されている・・・
社殿に向き合うと、ここは、大きな神さまがおりやるな、と思った。
10月、神々が出雲においでになって、神無月になる前でよかった・・かも・・・
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護国神社
- 2008年6月 1日 07:34
- 神々のおりやるところ
宮崎神宮は広大な敷地を持つ。
博物館あり、昔の茅葺の民家の展示あり、
その一角に護国神社もある。
ひとが絶えない神武さま(宮崎神宮の通称)とはうってかわって、ひっそりとして、ひとけもない。
祀られているのは、「国家公共につくしたひとの神霊」だそうだ。
神社に祀られている神さまがたが、記紀に名を連ねるかたがたであると、親しみと、どことなくおかしみを感じる。
歴史に登場するひとたちだと、少し現実味を帯び、苦しかったであろう人生に思いを馳せる。
でも護国神社の御神は重い。
まだ生き証人たちがたくさんいるからね・・・。
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八手神社
- 2008年5月18日 07:50
- 神々のおりやるところ
我が家は、内外問わず、大小さまざま、種類もいろいろのクモたちが、どやつといる。
別段、悪さするわけでもなく、私が近づくとそそくさと逃げるので、こちらも「きゃあ~」とか「しっしっ」とかも言わず、いるがまま、あるがまま。
でも、ハリーポッターにでてくるアラゴクや、映画南総里見八犬伝にでてくる大グモや、楳図かずおの恐怖マンガにでてくる、世にも恐ろしいクモのように、大抵は悪役になる。
その典型的な悪役のクモを祭った神社があるというので行ってみた。
その名も八手(やつで)神社。
やっぱね。
うちのメインバンクのすぐそば、民家に囲まれているのだけど、
ゴミひとつ落ちていない、それはそれはきれいにしてある神社。
やはりクモたたりを恐れてか・・・
と思ったら、メインのご祭神はシオツツノオジ(シオツツノカミ)じゃげな。
先週行った、野島神社のご祭神と同じ海の神さまじゃないの。
このシオツツノオジは、海幸彦から借りた釣り針をなくした山幸彦を助けた神さま。
記紀には、たびたび登場してくる。
じゃあクモの話はなによ、というと、
その昔、赤江の浜(もとものこの神社があったところ)にあった松林に、夜な夜な人を襲う大グモがいた。
宮本武蔵のような剣の使い手がやってきて、やっと退治できた。
人々は、ほっとしたものの、その大グモのたたりを恐れて、祠をたて、この神社にまつったそうだ。
写真右から4番目の、つるっとした前方後円墳のようなのが供養碑。
昔のひとは、やさしいね・・・。
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野島神社
- 2008年5月11日 07:52
- 神々のおりやるところ


風光明媚な日南海岸。
それに沿った道は、大雨でよく通行止めになる。
それを避けるために山を掘ってつくられた長い長いトンネルを抜けると、内海あたりにつく。
さらに車を走らせると、イセエビが食べられる食堂が点在する。
そのひとつ「星倉」のまん前に野島神社はある。
面に立つ石碑には「浦島太郎をまつる」とある。
浦島太郎ってあの浦島太郎?
なんでここが浦島太郎?
丹波のあたりの人なんじゃないの?
と大雨のなか、考えてもずぶぬれになるだけなので、社殿にすすむ。
と、右にみごとな、というより、おどろおどろしい感のする、アコウの木が空間を覆っている。
ちんまりしたお社で拝むより、この樹齢300年のアコウの木に、思わず手をあわせてしまった。
祀られているのは、シオツツノカミ、サルタヒコ、ウハツツオノカミ、ナカツツオノカミ、ソコツツオノカミと、海の神様がたが勢ぞろいしている。
この野島神社は、かつて白鬚大明神といったそうだ。
アコウは大綱をひねって束ねたような、不思議な木で、
幹からしょんしょん出ている根が、まるで仙人の鬚のように見える。
だから、ただならぬ霊気がただよった雰囲気がするのかな。
怖がりの私、早々に帰ってきました・・・。
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木喰五智館
- 2008年4月27日 13:38
- 神々のおりやるところ
『木喰』
なんて読むのか、いったいなんなのか、初めてこの文字を見たときはわからなかった。
もくじき、と読む。
江戸時代、米穀をたち、木の実や野菜を食して、全国行脚したお坊さんのこと。
たいしたもの食べていないのに、92歳まで長生きをした。
そして、暖かい微笑をたたえた仏像を製作し、各地に残した。
今年の1月から3月にかけて、福岡市博物館で『木喰展』が開催されていたが、いけなかった。
本物の彫像を見てみたい、とずーっと思い続けていたら、なんと、私の住む西都市のお寺に、住職として9年もおりやったげな!
どこよ?と探したら、車で7、8分ぐらいで行ける日向国分寺。
今は跡しかない。
「木喰五智館」が建てられ、今なお、木喰上人が彫られた5体の如来さまが鎮座しているという。
行ってみました。
国分寺は奈良時代に各地の国府の近くに建てられはじめ、この日向国分寺は8世紀半ばに建立という。
しかし、今は礎を残すだけ。
この変遷をみつめてきたであろう、いちょうの巨木が若葉を湛えていた。
まだ、木の香りのする「木喰五智館」に一歩足を踏み入れると
足がすくんだ。
坐像とはいえ、3メートルはあるだろうか、重量感のある仏像がずらりと並んでいる。
あたりは誰もいない。
「おまえはだれだあ」と声が聞こえたような気がした。
勇気を出して、正面の大日如来の前にきて一礼し、顔をあげると、
左右がアンバランス。
眉毛はみごとな三日月型。
大きなまぶたをとじ、
お鼻はで~んとすわっている。
めくりあがった厚いくちびる、
福々したお耳。
やわらかい肩のライン。
衣のドレープは繊細。
手の表情が美しい。
これが木喰の「微笑仏」か・・・。
はじめは圧倒されたが、どことなく愛嬌のある面立ちに、思わず笑ってしまった。
右隣は阿弥陀如来と釈迦如来、左隣は薬師如来と宝生如来
如来さまがた、ふっふと肩で笑っているように見えた。
災害にも戦災にもあわず、よくぞまあ、ご無事で。
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比木神社
- 2008年4月20日 15:02
- 神々のおりやるところ
うちから車で20分ほどいった木城(きじょう)町に、今から1800年も前に建てられたとされる比木神社がある。
ご祭神は、オオムナチノミコト、ミホツヒメノミコト、コトシロヌシノミコト、スサノヲノミコト、クシナダヒメ
までは、おなじみのお名前なので、ふむふむとわかるが、
もうひとかた "福智王" が名を連ねている。
福智王は、6世紀から7世紀にかけて今の韓国西部にあった百済の、王族だったらしい。
歴史の教科書には必ず書いてあり、試験問題に、何年にありましたかって出る「白村江(はくすきえ)の戦い」あたりで敗れて、日本に逃れてきた。(答え;663年)
父禎嘉王はもっと北の南郷町神門神社に、母之伎野(しぎの)は隣町の高鍋町大年神社に祭られている。
異国の貴人で、逃れてきたのに、神社に、日本の神様方と一緒に、祭られている!
おまけに、年に1回、父禎嘉王と息子福智王を結ぶ師走祭りが、今だに行われている!
たぶん、世捨て人のような生活していたのではなく、表に出て、よっぽど徳のあることをされていないと、ちょっとこうはならないと思うんだけど。
参道脇のクスの巨樹にはなんの柵もない。
普通、境内のご神木は、人から切り離してあるようなしつらえがしてあるところが多いのに。
思わず、ぺっとり手をさしのべてしまった。
周りを見渡すと、人は誰もいないのに、何か活気がある。
神社めぐりをしていて、ここには神様おりやらん、と思うところあるのに、比木神社は、おりやる。
脈々と先祖代々守ってきたぬくもりが感じられた。
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春日神社
- 2008年4月13日 07:41
- 神々のおりやるところ
このほど、日南鵜戸神社の第11代宮司となった本部雅裕さん、新富町の春日神社の宮司さんをしていらした。
それだけだったら、あっそ、で終わっていたのだが、この春日神社、なんと800年も続いているらしい。
春日神社かあ・・・どっかで見たなあ、と地図を眺めたら、いつもうなぎを食べにいくので通る道沿いにある。
そういえば、思いっきり「春日神社」と大書した看板があったな。
あそこか、と行ってみた。
奈良にある春日大社の分社なので、ご祭神は同じアメノコヤネノミコト、タケミガヅチノミコト、フツヌシノミコトそれにヒメガミの4神。
とくに、アメノコヤネノミコトは、アマテラスオオミカミが天岩戸にお隠れになったとき、神々を指示して祭典を行った力量の持ち主なので、神事の宗源にあたる神様として敬われているらしい。
800年も続いているということは、鎌倉時代からあるのだから、どんなに古いのかと思ったら、30年ぐらい前にここに移転したので、朱塗りがまだ鮮やかなお社。
先日"ご利益のある参拝のしかた"という本を読んだので、ばっちり、それにのっとってお参りをした。
完璧だね!と自画自賛していたら
ビービービー、と静寂をつきやぶる音響・・・
ケータイ切るの忘れてたっ!
神様、ごめんなさい・・・
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南方神社
- 2008年4月 6日 07:24
- 神々のおりやるところ
先日お参りした速川神社と石貫神社の間あたりに、知る限り行列ができてるお店がある。
うなぎの『入船』
構えの、はではでしさもなく、狭くもなく、ごく普通の2階建てのお店屋さんだが、別棟に待合室があって、休日ともなると、そこで1時間待ち。うなぎの日なんて2時間待ちとなる。
駐車場は、西都市役所の駐車場より広いんだから!
宮崎にきて気がついたのだが、うなぎやさんが多い。
ただ、東京のうなぎと違って、焼くから少し硬い。
父は、関東風の蒸したふんわりしたうなぎが好きなので、口に合わなかったみたいだが、一緒に出た、ごじるとつけもの、それと白いごはんのうまさには感嘆していた。
その入船の前にある南方神社。
以前夜うなぎを食べに来たとき、待合室が混んで入れなかったので、時間つぶしに神社でやっていた縁日を覗いた。
ちょうどそのころ、NHKで放映していた時代劇ドラマ「蝉しぐれ」の縁日のシーンに似ていて、ふとタイムスリップしたような気がしたっけ。
ここの縁起は探したのだがわからない。
お社の敷地は広い。
ここには、国指定天然記念物になっている樹齢1000年以上のクスがそびえている。
幹のまわりは10mを優に超えると書いてあった。
近くの、コノハナサクヤヒメが祀られている都万神社にも、クスの巨樹がある。
ひむか神話ロードを丁寧につなげていくと、古代人たちが、縦横無尽にこの地で生きていた証がみえるのだろうなあ・・・。
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石貫神社
- 2008年3月29日 10:32
- 神々のおりやるところ
ふうちゃんのホームページをちらりと見たら、石貫神社という字が目に入った。
先だって参拝した速川神社に行く途中にあるようだ。
いってみよっと!
地図だけたより、表示もなんにもなかったので、行き過ぎてから、やっぱりあそこだったかな、と引き返し、路なりにすすんでいくと・・・あった!
鳥居前で一礼し、参道両脇菜の花に彩られた、砂利路をざくざく踏みしめながら進んでいくと、村の鎮守の神様、といういでたちのこじんまりした社があった。
コノハナサクヤヒメの父君オオヤマヅミカミが祀られていた。
ここら一帯の長(おさ)だったオオヤマヅミカミは、鬼から娘を差し出すよういわれて、一夜で石造りの館を建ててほしいと頼む。
鬼はがんばって建てた。
でも嫁にやりたくない父親は、こっそり石一個(なんていっても大きいが)取って、ぽーんと放りなげ、「でけちょらんやないか」と言って嫁入りを断ったという。
その石がここにある。
お社むかって左は、杉に被われた小高い丘になっている。
このあたり、プロ野球ヤクルトの選手が合宿して、長い階段を上り下りする映像をよく見るのだが、どこやろか、と探すと、あった。
上りましたよ・・・
へーひーはー・・・
誰かあーっ!私を負ぶってえーっ!
・・・といいかけたとき、170段上りきり、ここはどこじゃと見渡すと・・・
なんと!西都原じゃないの!
どういう位置関係だ???
オオヤマヅミカミは西都原一帯をおさめていたのか・・・
鬼がつくったという館は、西都原にある『鬼の窟古墳』のことか・・・
やっと頭の中で整理がつきました。
『ひむか神話街道』は奥深いね。
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速川神社でお守りを買う
- 2008年3月25日 19:06
- 神々のおりやるところ
「速川神社は、ひとつだけ、願いごときいてくださるげな」
と言いましたら、ヒカリねーさんと厨房やの女房みちこさんと、うちの派遣さんのちかこさんが、
「いくいくっ!」
と名乗りをあげたので、20日のお彼岸の日、4人で行って来ました。
正月に夫とお参りに初めて行きましたが、まあ歩いた歩いた。
ですから、歩きやすいスニーカーみたいなのを履いてきてね、とメールしたのに、みちこさんは、いつもと同じハイヒール!
「メールに書いたでしょ!」
「出だししか読んでないの・・・」
「崖から足すべらしても、しらないよ」
「・・・がんばる・・・」
お正月と違って、人もまばら。お天気も気候も、実に気持ちのいい日で、うきうき、ピクニック気分。
でも、やっとのことで神社について、神殿で卵とろうそくをお供えしてからは、皆さん真剣です。
なにがなんでも、きいていただかなきゃ、と、長いこと、ごにょごにょ・・・。
社務所でお守りを買うときも、願いごとと値段を細かに吟味。
さて、お願いごとですが・・・うふふ・・・翌日さっそくバッチグーの結果が出た人がいるのよ!
すごいでしょ!
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村角の高屋神社
- 2008年2月10日 07:50
- 神々のおりやるところ
うちの近くにある高屋神社と同じ名前の神社が、宮崎市内にもあるという。
高屋神社は、景行天皇の行幸先の旧跡と伝えられているが、神社縁起として伝わっているだけで、場所も事実も確たるものではない。
先日西都のに行ったので、今度は村角(むらすみ)のを探し当てていってみると、やっぱりくたびれた社だった。
天気もよくなかったせいか、"景気のいい神社"で感じられるような、背筋を伸ばしたくなるような雰囲気がない。
まわりを見渡すと、石に像が刻み込んであるが。
こっちの2つは装束がかわっている。直衣でもなく、狩衣でもなく、直垂でもなく、たら~んときているが、顔はしかめ面をしている。
あっちの3つは、昔人々がお参りしていたのだろうか。猿田彦と読める。

あんまり侘しいので、「神さまあ~、おりやっとですかあ~」とちっちゃい声で聞いてみた。
「お~っ」
・・・と返事はなかった・・・。
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江平子安観世音
- 2008年2月 2日 07:11
- 神々のおりやるところ
宮崎市の繁華街から少し離れた、マンションやパチンコやさんに囲まれた一角に、ひっそりと江平子安観世音がある。
江戸中期に谷口丹後入道宗須という偉いお坊さんに寄って開基されたという。
"子安"と言うくらいだから、当然産前産後の女性たちが参る。
無事男の子を出産した、工具やの娘さんも行ったのかな。
縁日になると、女性たちだけではなく、男も子供も参る。
毎年暑い盛りの7月17日と18日が大祭。
おいが小学校低学年のとき、学校で「今日は江平のお祭りだよ」と友達から聞いた。
家に帰ったら、きっと宿題じゃあなんじゃと言われて、きっと連れて行ってもらえないだろう。
だったら、学校帰りに直接行ってしまえと、子供の足で1時間以上かけて、ひとりで観音さんのお祭りに行った。
ランドセルは、途中でマンションのごみ置き場に隠した。
人の賑わいに目をうばわれ、時間がたつのも忘れて、お店をひとつひとつ見て回った。
気がついたら夜になって、お腹もすいた。
ちらっと家のこと考えたけど、怒られるし、まだ人がたくさん出ているから、まっいっかと、知らない子の仲間に入って遊んでいた。
そのころ家では大騒ぎ。
学校はとっくに出たというのに、8時をまわっても帰ってこない。友達の家に電話をしたがどこにもいない。警察に捜索願いをだした。
夜10時すぎ、お腹がすいてたまらなくなって、ものほしげに、カキ氷やのおじさんを見ていたら、小さい氷を少し分けてくれた。
田んぼの溝でも落っこちたのではないかと、親戚一同駆りだされて、真っ暗な田舎道を探し回る。
パトカーも出て、大捜索となってしまった。
すると1台のパトカーが、子安観音のところでぽーっと立っている小学生を見つけた。
にこにこしながら、パトカーに向かって手を振っている。
「迎えにきてくれたんだね」とパトカーをタクシー代わりにして、時計の針が12時をまわるか、というころ家に戻ってきた。
明日は、その"穂が無い"おいの二十歳の誕生日。
いつぞやのお礼と、おかげさまでここまで無事に育ちましたと、報告に行ってきた。
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黒貫の高屋神社
- 2008年1月27日 07:29
- 神々のおりやるところ
日本書紀や古事記に登場する、古代国家統一したとされる景行天皇は、妃とされる方あまた、御子にいたっては男女80人!という豪傑であらせられる。
その景行天皇は日向の国にこられ、6年ぐらいおられたらしい。
お住まいとされた神殿は、高屋。
ところが”高屋”は、西都市にひとつ、宮崎市にひとつある。
我が家の裏山をずーっと抜けていくと、高屋温泉にたどり着く(はず。今はたぬき道しかないけど)。
つまり、うちの近くに高屋神社はあった。
地図を見ながら車を走らせたら、毎日毎日10年以上通勤している道筋にあるじゃないの!
それも、大きな字で”高屋神社”とかかれている。
てっきり、”村の鎮守の神様”程度かと思っていた。
神社の前にたつと、人影はもちろん、神影も感じられない。
社のまわりには、ごみがちらばり、建物の下には、掃除用具が投げ込まれている。
鹿野田神社に行ったときも感じたが、村でささえていたものが、消えかかっているような気がする・・・。
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水沼神社
- 2008年1月20日 07:39
- 神々のおりやるところ
我が家から車で15分ほど行った新富町にある水沼神社。
名前の由来どおり、神社の裏に回ると、夏は蓮の花で満ちる沼-湖水ヶ池-がある。
耳をすますと、海鳴りが聞こえる。
沼の向こうの土手を越えると、日向灘がひろがっている、そんなロケーションだ。
境内に由緒が書かれている札は見当たらないのだが、ミズハノメノカミ、クラオカミノカミ、ナルイカズチノカミの3柱が御祭神。
有名な神様ではないが、国生みのイザナミ・イザサギにかかわる神様がたである。
役割は水を治める神様、雨を司る神様、雷鳴の神様と”水沼”の名にふさわしい。
民家の庭先のような細い参道を抜けていくと、沼の水から朝方の光の反射をうけた神社が現れる。
注連縄(しめなわ)は青々して房も大きい。めずらしいと思った。
ここにも龍神伝説があるという。正月行った速川神社も龍神が住む。
今年は龍神にご縁があるらしい・・・。
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速川神社
- 2008年1月13日 07:38
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「お願い事を一つだけ叶えてくださる神社があるって」
「どこよ?」
「杉安橋を越えて、一ッ瀬川沿いにある速川神社」
「前行ったことあるよね。へ~そうなんだ。」
ということで、夫と3日に行ってみた。
二人が思い浮かべていた神社は、川沿いで、駐車場に車を止め、広い階段をあがっていくと開けたところにある地味な建物。
ところがどっこい、それはいったいどこの神社だったのでしょう。
速川神社は川の向こう側の山の中腹にあり、まず、川におりていき、長い橋を渡り対岸についたら、今度は、えんえん細い道を登る。
この神社のご祭神は、セオリツヒメ、ハヤアキツヒメ、イブキドヌシ、ハヤサアウラヒメの4柱。
ぜんぜん有名ではないが、お払いの神様がただそうだ。
人が清らかな心になって罪や穢れを祓い、敬虔な祈りをささげれば、神様は一つだけ願いを聞いてくださる・・・ということらしい。
「だれかあ、私をおんぶしてええ!」と言いそうになったとき、ちんまりした神社が目の前に現れた。
ふつうにお参りして、神社のわきにまわってみると、おばちゃんが卵を包みからたくさん出している。
「これ何するんですか?」
「卵2個とろうそく1本を、本殿にあがってお供えするのが、正式のおまいりなの」
えっ!そりゃせにゃ、何しに、ここまでたいへんな思いして来たか!
夫と私の共通のたったひとつのお願いを聞いていただくべく、卵2個ろうそく1本100円で買って、本殿に上がり、心を込めてお願いした。
あとでわかったことだが、速川神社の周辺にある男滝・女滝・蛇滝(龍神の滝)等と称する七滝のうち、龍神にささげる卵として奉納するらしい。
さて帰り道、心は軽やかなのだが、足と顔は引きつりそうになって、ようやく車道にたどりついたときは、荒行をして罪や穢れがすっかり落ちた気分だった。
今年の目標のひとつに追加、体力をつける・・・。
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9日に行った十日恵比寿
- 2008年1月10日 07:36
- 神々のおりやるところ
宮崎市中村町にある恵比寿様には、毎年1月9日の昼前に行く。
すいているのと、1本100円のくじびきがゆっくりできるからだ。
腰をくねくねしている30センチほどの恵比寿様のお人形が、おいでおいでしている窓口で、10本分のくじ券を買った。
9日はこしゃちょうママのお誕生日でもあるから、よっしゃあと気合を入れて10枚、箱の中から三角のくじを選んでいるとき、ふと振り返ったら、テレビカメラが私を映している!
「当たるところを映したいので」とおっしゃるが、実はこういうの、あたったためしがないの。
・・・1枚1枚開けていったら、みごとに!全部!空クジ!ねっ!
でもここの恵比寿様は寛大な方で、空クジでも商品はいただける。
10こ、うどんやら小さいお菓子やらいただいて、こしゃちょうママのプレゼントになりました。
熊手と御札はちゃあんといただいて、お賽銭もはずんできたので、今年も「商売繁盛、笹もってこいっ!」
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榎原神社
- 2008年1月 6日 14:20
- 神々のおりやるところ
正月2日、日南の友人宅に行くついでに、初詣に宮崎神宮に行こうと夫と出発。
これが、甘かった。
なんで車が赤信号でもないのに動かないのよと思っていたら、参拝客の車で大渋滞!
駐車場に入るには、かなりな忍耐が必要そう。
それじゃあ、鵜戸神社に行こうと、コバルトブルーの日南海岸のわきを走る道を快調に飛ばしていき、はるかむこう、鵜戸さんと臨むあたりを見たら、これまた車が大渋滞!
今日はあきらめようよ、と夫は言うが、いやいや、こちら南あたりに”ご利益のある”神社があったはずだと、う~んと考えた。
・・・ありました!
南郷町の榎原(よわら)神社。
飫肥三代藩主、藩主伊東祐久が鵜戸神宮の分霊を祀った神社だから、鵜戸神社に行ったも同じね!
宮崎の神社は、わりと華やかな色彩の社が少ないが、この神社は朱色が美しい。
お寺にあるような楼門もめずらしい。
二礼二拝一礼、お賽銭をはずみ、みなが健康であること、よきことがあるよう力添えをお願いして、初詣完了!
おみくじは・・・大吉!へへっ!
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住吉神社
- 2007年12月16日 07:50
- 神々のおりやるところ

シーガイヤ近くの松林に囲まれた中に、住吉神社はある。
日本全国各地に住吉神社は存在するが、いずれも海の神様である住吉三神、ソコツツノオノミコト、ナカツツノオノミコト、ウハツツノオノミコトを祭っている。
つまり海の近くにあるっていうこと。
姑あらんだまばーちゃんが言うには、小学校のとき、家(私たちが今住んでいる地区)からここまで、遠足で来たという!
なんで”!(びっくりマーク)”がつくかと言うと、これが尋常な距離ではない。
子供の足で、朝6時に学校を出て、昼について弁当食べ、暗くなって学校にたどりつく・・・てな感じだろうか。
ばーちゃんは幸いにも家から小学校が近かったからいいが、さらに1時間とか1時間半とか通ってくる子たちは、いったい何時に家を出、何時に家についたのだろう。
まさしく"遠足”。遠いところへひたすら足を運ぶ。
時間はたくさんあったけど、歩くしかなかった時代のことに、ここに来るたび思いを馳せる。

お賽銭箱の脇におみくじがあった。
50円。安い!お金はお賽銭箱に入れてねってある。
一番手前にあったのを手に取った。あけたら・・・本業をよくまもって静かにときの来るのをまちなさい・・・ですって。んんんん・・・神様、ちゃんと見てるね・・・。
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屋敷の祠(ほこら)
- 2007年12月 9日 16:50
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田舎の家屋敷には、広い分、田の神様や水の神様はじめ、たくさん神様がおりやる。
近所の90歳を過ぎたおばーちゃんは、知らん家にあがりこんで、「はさみ取ったやろ」とわけのわからないこと言っては家人に叱られているが、朝晩、自分の屋敷内のあちこちにおりやる神様に、お茶とご飯を上げるのだけは、365日忘れない。
長年の農作業で二つ折りになった身体で、お盆をかかえ、10何人?の神様に、順番もたがわずご挨拶をしてまわると、1時間以上かかるらしい。
”儀式”が終わってから、ようやく自分のご飯にありつける。
「これだけたくさんの神様が守ってくださってるから、多少呆けても元気なのよ」と私と同年代のお嫁さんが笑いながら言っていた。
隣家の小高くなったところにも、ひっそりと小さい祠がある。ここは84歳のおじの守り神らしい。
もうじきお正月。神主さんが来て、神様がたの注連縄(しめなわ)と紙重(かみしで)がすべて新しくなる。
今年も、あとわずか・・・。
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小戸神社
- 2007年12月 2日 07:36
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大淀川淵にある小戸(おど)神社は、夫が子供のころ、遊び場のテリトリーだった。
境内で相撲をとったとか、虫取りあみでセミをとったとか、友だちと”とりもち”を使って賽銭箱から賽銭をとったとか(この罰当たりがっ!)
ボーイスカウトの支部がここにあって、お泊りの集会はわくわくしたとか
時間を忘れて遊んでいて、かあちゃんの「ご飯よ」の声に、うわあ、たいへんだあ、遅くなったと転げるようにして家に帰ったら、すでに食卓についているとうちゃんの機嫌が悪くなっていて、ご飯がのどを通らなかった、なんて境内を散歩しながら、懐かしそうに話してくれる。

5世紀ごろの景行天皇の勅命で創建された、たいへん古く由緒ある神社である。
主祭神はイザナギノミコト、つまりアマテラスオオミカミとスサノオノミコトの親神さま。
子供たちの遊ぶさまを、おもしろそうに見守ってくださっていたのだろうか。
写真を撮りにいったときは、清々しい秋晴れの日で、境内の砂利がきれいに文様が描かれていた。
今は参拝者も見かけず静かだけど、あと1ヶ月もしたら、お正月。にぎわうんだろうなあ・・・。
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鶴見の総持寺
- 2007年11月25日 07:07
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「お寺に行くよ」と子供のころ、祖父母から言われると嬉しかった。
神奈川県横浜市鶴見にある曹洞宗総本山総持寺に、ご先祖さまが眠るお墓がある。
参道の脇に、今でこそ鶴見大学が建ったが、幼い弟とかけっこした道は今もかわらない。
広大な境内には仏殿、大祖堂など、たぶん歴史的に重要な文化財が並んでいるであろうが、子供にとっては、いっくら駆けずり回っても叱られない、大好きな場所だった。

古い建造物を江戸時代の風景に見立て、ときどきチャンバラの撮影が行われていた。もしかすると、テレビや映画に映るかもしれないとうろうろしたら、「はい、どいてどいて」と追い払われた。
朝早いと、静寂につつまれた薄暗い板の間で、座禅がくまれていた。
法要に、にぎにぎしい鳴り物もない。
でも、本堂に整然と何百人居並ぶ僧侶の読経のとどろきは、子供心にも感動した。
うちのお墓は、とある一筋の突き当たりから手前ひとつ。
あるとき、そのお墓の場所が、一番奥になっていた。またあるとき、反対側に移っていた。
母は、お墓はときどき動くのよ、と幼い弟と私に言った。
動いたのは2回・・・。そんなばかな・・・。あれは私の夢?

「そんなことあるわけないじゃないの」
それから10年あまりして、祖母の墓参りのとき、雲つくような大男になった弟に母は言った。
弟はけげんそうな顔をして、私を見た。
「あれ、あんたも聞いてたの?」
弟も目撃していた。お墓は2度動いてた・・・。
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都於郡城跡
- 2007年11月18日 07:37
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都於郡は”とのこおり”と読みます。
その昔、ここ一帯は伊東氏が治めていて、都於郡に城を築き、まわりには士族が住んでいたので士中。もう少し離れると、中間原という地名があり、身分による住み分けが想像できます。
天正遣欧少年使節団でヨーロッパに渡った少年伊東マンショは、伊東氏の一族。
郷土の誇りであり、地区の小学校では詳しく習うと聞きました。
さてその城のお祭りが、高台にあるこの城跡で11日にありました。

メインイベントは恒例の都於郡小学校の子供たちの”武者行列”。
遠目には、とてもダンボールと紐で親が夜なべで作ったとは思えない鎧兜を、男の子も女の子も身につけ、「えいえい、お~!」と雄たけびを上げる様は、伊東氏の末裔にふさわしい(かな)
朝の9時から4時ぐらいまで、保育園の子供たちのお遊戯やカラオケ大会、四半的大会、出店、せんぐ撒き・・・。
天気がよかったことも幸いして、地区のたいせつな行事が無事、滞りなく終わりました。
この都於郡城の整備開発に、隣家のおじが作業員として携わったとき、不思議なことがおこりました。
土を掘り起こす作業をしていたおじの足だけが、勝手にばたばた動き出して、止まらなくなった!
踊るようにして家に戻ると、それを見たおばが、「こりゃぼくじゃ(たいへんだ)!」とお経を一心に唱えたら(医者に連れて行くのではなく)、ぴたっとやんだそうです。
この城は、実は、伊東氏がヒコホホデミノミコト(山幸彦)の陵墓を壊して造ったと謂れのあるところで、長い年月たっても、なんかがあっど、というのが、もっぱらの話。
伊東氏の墓は、この城から少し離れた木立に囲まれたところにあり、地区の班長が年2回お掃除に行きます。
夫と私が班長のときは、大きな台風が来た後で、大木が倒れたり、惨憺たるありさまでした。
いくつも墓石が並んでいるなか、ぽこっとなくなっているところがありました。
台風でころがったのかと思いきや、鹿児島に住む子孫が、トラックで持って行ったそうです。
残ったご先祖さまが寂しかろうに・・・。
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一ツ葉神社
- 2007年11月11日 07:02
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けっこう気に入ってる珈琲屋さんの「詩季」の隣にある、一ツ葉神社。すぐそばにイオンができて、道が込むので、どちらにも最近ご無沙汰だ。
先日、免許の更新に行った帰り、久しぶりでおまいりに行った。
一ツ葉神社はお稲荷さんである。ご祭神のおひとりがウカノミタマ(倉稲魂命)、つまり稲荷神さまだからかな?
稲荷神社は、商売繁盛の象徴である、たくさんの鳥居が献納されている。くぐれどもくぐれども、というわけではないが、宮崎では著名な企業の名を記した鳥居が連なっていた。

くぐり終えると、銭洗いの社があるではないの。
札束出して、ざぶざぶ洗うのもみっともないので(というより持ち合わせがない)、小銭を2,3枚洗って増えますように増えますように・・・。
近くにある一ツ葉浜は、夫が子供のころ遠足の定番地だったという。
夏海水浴で、彼の亡き母や兄弟4人で仲良く写っている写真も、確かこの神社の奥だったはずだ。
コーヒー飲むついでに寄る神社でしかない私とは違う思い出が、地元で育った夫にはある。
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鵜戸神社
- 2007年11月 4日 07:43
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日向灘を左手に南下していくと、日南市に入る。
断崖絶壁をくり貫いた洞窟に、鵜戸神社は、すっぽり入っている。
ここでヒコホホデミノミコト(山幸彦)の息子、ウガヤフキアエズノミコトが生まれたという。
お母さんはトヨタマヒメ。子を産む姿は見ないでね、と夫にお願いしたにもかかわらず覗いたら・・・
彼女は”ワニ”の姿で這いずり回って、子を生んでいた。
夫は仰天!妻は恥じ入り、実家に戻ってしまった。
この「見てはだめよ」と妻が言うにもかかわらず、夫が「ちょっとだけよ・・」と覗いて、夫婦生活がばーんと破綻という例は多い。イザナギイザナミしかり、『夕鶴』のつうとよひょうしかり・・・こらえ性がないんだから。

母においていかれた赤ちゃんは、母の妹タマヨリヒメに育てられ、長じて彼女と結婚をする。そして生まれたのが神武天皇ら4皇子。彼らは日向美々津から大和へ船出をする。
私の目に映っている壮大な海と空は、山幸彦もトヨタマヒメもタマヨリヒメも神武天皇も、同じものを見ていたのではないか。神武天皇4兄弟が東を目指した気持ち、解る。
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筥崎宮
- 2007年10月28日 07:29
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先週、福岡に講習会を受けにいったのだが、早く着きすぎ、近くにあった筥崎宮に足を運んだ。
本殿正面は、まるでお寺の山門のようなどっしりとした構え。囲む塀の中をのぞくと、大名のお屋敷のようだ。
正式名称は筥崎八幡宮だから、ご祭神はもちろん応神天皇。それから母君の神功皇后、となぜかタマヨリヒメ。海が近いからかな。
楼門に掲げてある『敵国降伏』の勇ましい文言が書かれた額は、蒙古襲来この地で防いだからかと思ったら、平安中期にすでに醍醐天皇が下賜されたげな。200年ぐらいタイムラグがあるけど・・・。

初めて行ったものだから、あちこち物珍しそうに見ていたら、『湧出石』という石が、地面からちょこっと出ている。この石に触れると運が湧き出る、うんぬんと書いてあったので、身体をふたつに折って、柵をこえ、えいやっと右手で石に触った。ちょっと足りないかもと、今度は左手でもべっとり触った。わき腹がつった・・・。
その横に『お潮井』という真砂がおいてある。身に振り掛けると災いから逃れられるというので、これもぱっぱとおもいっきり振りかけ、お持ち帰り用に少しいただいた。
お賽銭もはずんだし、これだけすれば、この1年、ばっちり運はもらったねっ!
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大宰府天満宮
- 2007年10月23日 07:20
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先週、福岡に講習会で行って、ついでに九州国立博物館を見てみよ、は予定していたが、太宰府天満宮の奥にあるとは知らなかった。

今日は、受験の神様として大もての福岡の太宰府天満宮の話。
祭られているのは、ご存知、学問の神様、藤原道真公。平安時代中期、この地に流刑となり、生涯を終えた。
ご利益に預かろうと、受験のご祈祷でさぞやごったがいしていると思いきや、人はたくさんいるものの、「ヨボセヨー」とか「ニーハオ」とか「チョゲヨー」とか「アランダマー」(はない)が飛び交っている。
そうか、海を隔てて近いから、ここはあちらからのお客様も、たくさん来るのよね。

お賽銭をいれ、柏手うったところで、「かしこみかしこみ」が始まった。おっというように、あちらの言葉の観光客が集まり、一斉にカシャカシャカシャとシャッターの音がする。かわいらしい巫女さん、裾のしわなんかのばしちゃって、カメラを十分意識しているね・・・。
本殿の後ろにまわってみたら、そこは人影もなく、ひっそりとしている。巨大な老木の間に、ほこらがいくつも立っていた。
見ていくと、道真公の子供たち、親類、先祖、従者、そしてアマテラスオオミカミをはじめとする神々も祭られていた。
壮大な本殿を、手をつなぐように囲み、数え切れないお願い事を、もれなく皆で聞いているのかな・・・。
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青島神社
- 2007年10月21日 07:23
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毎年巨人軍が、春のキャンプで来県したとき、"神頼み”にいくのが、青島神社。
今年は神頼みが、ちょっと利いたらしい。

干潮のときは、鬼の選択板の海を歩いて、貝取りやカサゴ釣りをしながら行ける青島。南国とおりすぎて、ハワイでもきたんじゃないかと思えるような、亜熱帯の植物がうっそうと茂っている。
島にわたると、砂が貝殻の細かく砕いたものに変わる。よく見ると踏むのがおしくなるくらい、かわいい貝がたくさんある。

島に鎮座まします青島神社のご祭神は、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)と奥方のトヨタマヒメ、とシオヅツノオオカミ。起源は1200年も昔にさかのぼるらしい。
ヒコホホデミノミコトは浦島太郎、トヨタマヒメは竜宮城の乙姫様と、いってもいいくらい二人が出会ういきさつは似ている。もっともヒコホホデミノミコトは、亀ではなく鰐に乗ってかえってきたらしいし、箱を開いておじいさんにもならなかった。

来年の2月のプロ野球のキャンプ入りは、巨人と東国原知事で、さぞやここはごったがえすのだろうな・・・。
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立磐神社
- 2007年10月14日 07:48
- 神々のおりやるところ

日向に仕事に行った帰り、美々津にある立磐(たていわ)神社に寄ってみた。
先日さーやさんが、ブログに『おきよ祭り』のことを書いておられたが、そのお祭りの主役がここ。
旧暦8月1日「おきよ、おきよ」と声をかける、というのを「お清よ、お清よ」かと思っていたら、「起きよ、起きよ」でした・・・。
ヒコホホデノミコト、通称山幸彦の孫のカムヤマトイワレヒコノミコト、つまり神武天皇が東征の折、ここから船出をしたという。

だから、日本海軍発祥の地、という大きな碑もそびえたっている。
日本の海軍の始めは、幕末、勝海舟が神戸に建てた海軍操練所だと思っていたので、ちょっとびっくりしたが、水軍を海軍と置き換えれば、成り立つわね。

この神社は耳川の河口にあり、潮風にあたって、神社は少しくたびれている。
神社を背に海を向くと、はるか東方かなたを目指した神武天皇が、腰掛けて指揮をとられたという”御腰掛石”がある。
それやこれやを考えると、やっぱり”神々のふるさと”は、宮崎になるよね。
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宮崎八幡宮
- 2007年10月 7日 07:16
- 神々のおりやるところ

今話題沸騰の宮崎県庁のすぐ近く、閑静な住宅街にある宮崎八幡宮。
以前カットしてもらっていた美容師さんから、商売の神様だから、行っておくといいよ、といわれたのがお参りの始まり。
それまで、源頼朝が鎌倉鶴岡八幡宮に八幡神を迎え、武神として敬拝していたとおそわっていたので、戦さの神様かと思っていた。
まあ、家内安全、商売繁盛、無病息災、日本の神様は寛大だから、なんでもいいのよ。
”八幡”と名がつく神社は”稲荷”と名のつくのの次に多いらしい。
八幡神社の主祭神はどこも、ホンダワケノミコト、つまり応神天皇。

神社に行っても、お賽銭をあげるぐらいで、たいてい、おみくじもひかないし、お守りも買わない。
でも、いつだったか、この神社で、かわいい猫が入っているおみくじを見つけた。
思わず引いた。大吉!愛猫くろすけくんそっくり!また来て引いた。大吉!!愛猫ちゃぼちんそっくり!またまた来て引いた。大吉!愛猫るんちんそっくり!!!
だから、この神社、私だ~い好きっ!
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生目神社
- 2007年9月30日 07:14
- 神々のおりやるところ

プロ野球、福岡ソフトバンクがキャンプをする、宮崎市生目(いきめ)の森総合公園の近くにある。
字のごとく、目の病気に霊験あらたかと、全国から参拝者がある。ここで売っているお水で目を洗うといいげな。我が家の近所のじーちゃんばーちゃんは、ほとんどやってみている。効果の程は・・・窮すれば通ず、いや信じる者は救われる、いや・・・やめとこ・・・。

ご神体はホムダワケノミコト、歴史の教科書だと応神天皇という名前。それと藤原景清公、この方知らない。

雨の朝早くにもかかわらず、竹箒で掃くしゃっしゃっしゃっしゃっという音が、あちこちから聞こえていた。掃いた後の参道や社のまわりは、すがすがしい。

神社裏手、向かって右手にクスノキ、左手にオガタマノキの老神木。この高台から、学ばない人間のおろかな業を見続けているのか・・・。
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江田神社
- 2007年9月23日 07:01
- 神々のおりやるところ

神事のとき、必ず耳にする「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原の・・・」がここ。
シーガイヤのすぐそば、市民の森の一角に鎮座している。
祭られているのは、イザナギノミコトとイザナミノミコト。そう、日本の国生みをしたご夫婦の神様。
この神社が作られたのはとても古い。10世紀の初期に完成した文献、延喜式に載っている。


この社裏手の小道を行くとみそぎ神社、その先にみそぎ池がある。
イザナギノミコトが亡くなった愛する妻イザナミノミコトを追って黄泉の国にいき、おどろおどろしい妻を目にして仰天!命からがら帰って、穢れをはらったというところだ。
左目を洗うとアマテラスオオミカミ(太陽の神)、右目を洗うとツクヨミノミコト(夜の神)、鼻を洗うとスサノオノミコト(海の神)、が生まれた。
ということは、この古事記のスーパースター3人、じゃなくて3神様は、おとうさんから生まれた?宮崎県宮崎市出身?地上で生まれ高千穂に行って天駆けた?
・・・まあ、そういうごちゃごちゃしたことは横に置いておいて、この神社、華美なところが少しもなく、素朴なたたずまいが心ひかれる。

たいして大きくないみそぎ池の周りをあるきはじめたら、どぼんどぼんと、ひっきりなしに飛び込む音がする。ずいぶんたくさん鯉か鮒がいるんだなと思ったら、・・・亀・・・。

なんかへんなのが来たと、次々にダイビングしていた。
亀は万年というから神代の昔から・・・いやいやまだ8年ぐらいのばっかりでした・・・。