思い出の最近のブログ記事

オリンピックイヤー

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北京でのオリンピックが近づいている。

真夏の太陽が照りつける、ちょっと動くだけで倒れてしまいそうな時期に、選手も観客も真剣勝負をして大丈夫だろうか。


市川崑監督の『東京オリンピック』を見たら、昔の記憶がよみがえった。

東京オリンピックの開催は10月10日。
世界の"大運動会"にふさわしい、秋の風も爽やかな頃。
日本選手団赤のブレザーの、堂々の行進は、小学校低学年の私も誇らしかった。

競技が始まると、教室におかれたテレビで応援観戦が日課。
どの競技を見たかは忘れたが、テレビが"扉をうやうやしく開けて、ありがたく拝見"するタイプだったのだけは覚えている。

体操の練習を、学校から30分ほどの代々木体育館(かな)に、友だちとそのお母さんたちと見に行きたいと担任に申し出たら、
授業があるにもかかわらず、あっさりとOKとなった。
体育館ぐるりの観客座席から見下ろすと、
平均台やら、マットやら、あん馬やらの道具で、各国の選手が時間を決めて練習をしている。

金メダルをとったベラ・チャスラフスカさんも、しなやかな肉体を躍らせていたのだろうが、
私たちには、なんら関係なし。
国旗をあてっこし、ぺちゃくちゃ4,5人でおしゃべりが楽しかった。

今のオリンピック選手は、なにかサイボーグをイメージさせるが、あの当時は、手の届きそうな人たちだったような気がする。

女子バレーがソ連を破って優勝したとき、父の涙を初めて見た。
「あんなつらい戦争から、もう二度と立ち直れないんじゃないかと思っていたのに、日本が金メダルを取れるまでになれた。
お前たち(私と弟)はいい時代にうまれてよかった」と・・・。


熱狂につつまれた2週間が終わり、
私たちのクラスには、短距離走のスタートについた選手たち横顔の写真入の下敷きだけが残った。


北京オリンピック
小学校の頃と同じ、テレビ応援ですが、
選手の皆さんが日頃の成果を存分に発揮でき、すばらしいドラマを見せてくれること、心から期待しています。

がんばれっ!日本選手っ!

お魚の値段と夏休みの宿題

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夫の焼酎のさかなに、刺身はかかせない。

宮崎は、安くて新鮮なお魚が手に入る。
それは、漁師さんたちのおかげ。
ほんと、ありがたいことです。

なのに、重油の高騰で操業ができないという。
なんとも気の毒な・・・

おそるおそるスーパーに行ったら、たまげるほど値段が上がっているわけではなかった。
刺身ひとパック買っても、なんの足しにもならないでしょうが・・・。


小学校のとき、夏休みの宿題で、魚の値段を毎日調べる、というのを出された。

本を読んで感想文とか、日記を書く、ドリル1冊やりとげる、とかは得意なのだが、
『毎日ひとりで魚屋さんに、買いもしないで行って、値段をメモしてくる』
これほどつらい宿題があろうか!

母は、なじみの魚屋さんの奥さんに話をしてくれた。
あとは行くだけ。

小学生の夏休みの一日は長い。
たらたら過ごしていると、夕方。
「今日はおさかな?」と聞くと
お肉、とつれない返事がかえってくる。

「なんかお魚のおかずにしようよ」というと
ぐずぐずしていないで、早く値段調べてきなさい、
とお金も持たされないで、メモ用紙と鉛筆だけで家をおん出される。

夕方だから、買い物籠下げた奥さんたちが、たくさん店先で魚を吟味している。
その間をぬって、遠慮がちに、背伸びをしたり、しゃがんだりして、魚の名前と値段をメモする。

「何してるの」と声をかけてくるおばさんもいて、
この魚の名前は違うよ、と教えてくれる。

全部書き終わって、魚屋のおくさんにぺこんと頭をさげたら、
濡れた手を前掛けで拭きながら近寄ってきて、「どれ、みせてごらん」とチェック。

「今日はね、仕入れでこの魚が高かったのよ。これは安かったから買って行く人たくさんいたよね」なんて、お客さんたくさんいるのに、にこにこしながら相手をしてくれる。

なんにも買わないのが申し訳なくて、商売のじゃまをしているようでつらくて、早く帰りたくて、なま返事して、飛ぶように家に戻ってきた。

それが毎日。

3日にいっぺんぐらい魚を買ってきて、と母に頼まれる。
そのときは、ほっとして、おちついてメモできる。

今日が最後という日、母がつきそった。
「よくがんばったね。魚のなまえ、たくさん覚えたね」
魚屋のおじさんまで出てきて、ねぎらってくれた。
母は、びっくりするくらいりっぱな刺身の盛り合わせを買った。

2学期提出した魚の値段調べの宿題、
棒グラフにしたら、魚の値段だけでなく、日によって入るものが違うこと、天候にもよること、いろいろな料理方法があること、
たくさんのことを学んでいた・・・。

こけ

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苔と芝生と雑草.jpgひとをこけにして、のこけ、ではなく、苔の話。

昨夜のNHKの番組『美の壷』のテーマは苔。
苔寺や盆栽に、幽玄の世界を感じるのは、"苔のありよう"
それで思い出した。

今でこそ、苔のある庭は、風情があると思えるが、
4、5歳のころ、家の庭にびっしりはびこる苔を見て、つるっとすべるし、なんか汚らしいからキレイにしなくっちゃと思い立ち、一日かけて、ちっちゃいスコップで、せっせせっせと剥いで、庭の隅に積み上げた。

夕方、庭を見た祖父は仰天!
丹精込めて、長い年月かけて、はえさせていた苔だったのだろう。

誰がやったんだっ!と、ゆげが立つほど怒っている顔は覚えている。
その視線は母から私に・・・とたんに、表情がゆるんだ。
というより、怒るに怒れない、といった困惑した目に変わった。

次の瞬間、怒りが祖父から母に移り、
「なんでそんなことしたのっ!謝りなさいっ!」
どかんと雷が落ちた。

その声に、赤ん坊の弟はけたたましく泣き出し、
誉めてもらえると思っていたのに叱られた私は、ひっくひっくと泣きながら謝まり、
そこに、ままままと祖母と父が間に割って入って・・・

それからのことは覚えていない。

でも、翌日、庭はもとのとおりになっていた。


苔は、じけじけしたところを好むと思っていたが、太陽のさんさんと降りそそぐ光と水分が必須だそうだ。
太陽と水が大好きなのは、芝生も雑草の同じ。

我が家の庭、三者共存。
というより、苔が一番負けてる。
幽玄の世界には程遠い、ほったらかしの世界が存在している・・・。

20歳の貧乏旅行

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マフィアのおねーさん.jpg初めて海外旅行に行ったのは、20歳の夏休み。

バイト先の奥さんと意気投合して、5万円で3泊4日香港マカオ全食事付!の広告を見せられ、
「いいなあ、行ってみたいなあ」とつぶやいたら、あれよあれよという間に話は進み、気がついたら、香港に立っていた。

30人ぐらいのツアーは、あやしげなおじさんやらおばさんがいっぱい。
あとで気がついたのだが、宝石を買いにいくツアーだったらしい。
タワービルの天辺の一室や、路地裏の宝石屋さんに連れて行かれるが、お金も持っていない、何の感心もなさそうなおねーさんなんか、声もかけてもらえない。

旅行社の手違いで、思いっきり広い部屋にひとりで泊まることになった。

免税店なるところに連れて行ってもらって、世には"ブランドもの"というのが存在するんだということを初めて知った。

飲茶は、珍しくておいしくて、これでもかと胃袋につめこんだ。

どんな格好をしていったらいいかもわからず、ジーンズのオーバーオールを着ていたら、マカオのカジノで「あんた16歳だからダメっ!」って入れてもらえなかった。

じゃあってんで、ワンピースを着て、サンローランのサングラスを買ってかけたら、「マフィアのおねーさん」と言われた。

夜の食事の席で、「あんた大学生だから、英語で注文してよ」と言われたが、全然通じない。

ガイドさんの「ここではいろいろな国の女の人と遊べます。お望みのかたはあとで私のお部屋にきてね」と流暢な日本語には、純情可憐な私は仰天した。

当時の定番の土産、洋酒3本、タバコ何カートンか、そのほか祖母と母と弟にお菓子で、持って行った小遣い3万円はすべて消えた。

羽田に夜遅くついた上、税関を通過するまで時間がかかるだろうと計算して、お迎えに着てね、と頼んでいた彼氏(今のダーリン)は待てど暮らせど、来ない。

羽田はどんどん人が減っていって、シャッターが降りはじめ、とうとう私ひとりとなり、涙がでかかったとき、やっと迎えが到着した。

結構つらいことずくしの、怒涛の"ど貧乏"海外旅行だったが、あの時、行ってよかったなあと思ってる。

英語が通じなかったくやしさ、28歳から取り戻しはじめたんだから・・・。

ひな祭りの思い出

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お雛様.jpg今日はひな祭り。

実家に置きっぱなしの"正式のひな壇"にかざるお人形さんの顔は、神経質で、どことなく怖く、好きではない。

小学校1年生の3月3日、そのお雛様を飾り、母の作ったばら寿司で、家族が食卓を囲んでいた。
少し前から風邪気味の祖父は、あまり体調がよくないのに、夕食後、お風呂に入った。

祖父の咳き込む声を夢うつつで聞きながら、私と弟は眠りの海へ・・・。

翌日、目がさめたときは、祖父は亡くなっていた。

気がついたら、緋毛氈が敷かれていたひな壇は、白黒の幕で覆われた葬儀の祭壇に、ピンクの桃の花が白い菊の花に変わっていた。

それから何年も、そのお雛様は出してもらえなかった。
飾らないとお嫁にいけなくなるんだって、といっても、縁起が悪いから、と言って、しまったっきり。
出さなくて、虫食って、なお怖い顔になったらどうするのよ、と言っても、いいのいいのと母は出そうとはしなかった。


夫と付き合いだして、雛人形は毎年、卵で作っていた。
卵に絵を書いて、千代紙でおべべを着せて。
私が作るのを忘れていると、彼は今年は作らないのか、とせがんだ。


何年か前、姑あらんだまばーちゃんが、得意の木目込み人形で一対の雛人形を作ってくれた。
それがこの写真。
お雛様の腰あたりに使っている生地は、今はたいそう貴重品になっているそうだ。
1年にこの1ヶ月だけ、床の間に登場する、お雛様。
私は、これが一番すきだな・・・。

真冬のナナハン

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関東地方は、今日はものすごく冷え込んでいるらしい。
今日は寒くはあるが、事務所のなかはストーブもつけていない。
南国宮崎は、冬はつくづく住みやすいところだと思う。

まだ結婚したばかりのころ、住まいは世田谷区の隣、狛江市にあった。
ちょうど今頃の時期、夜巣鴨の実家から帰ろうとしたら、弟がバイクでおくってやる、という。
別に何も考えないで、じゃ頼むね。

玄関の脇にあるバイクを見たら、やけに車高が高い。ナナハンだった。
免許とりたて、バイトしてバイク買ったばかりの弟は、どこでもいいから乗りたかったらしい。

背が190センチぐらいある彼は、まるで50ccに跨ぐようにひょいと乗った。

私が原付バイクの試験を受けたとき、1つだけまちがえた問題。
「バイクは足をひろげて乗っていいか?」
いつも弟は50ccを足をひろげて乗っていた。
だから、自信持って、

答えは、×。
彼の場合、ひろげないと乗れなかったのだ。

実家の母からわんさと持たされた食料品をかかえ、後によっちらと乗って出発。
動き出して5分もたたないうちに、重大なことに気がついた。

風を切って走ると、ものすごく寒いのだ。

「やっぱ、電車で帰るっ」と、がっちりかぶったフルフェイスのヘルメットに向かって怒鳴ったが聞こえない。

それから45分、フェイスカバーのないヘルメットをかぶった私の顔はがちがちに凍りつき、安定の悪い荷物を落さないようにしつつ、カーブでそんな傾けないでよ、とかっこつけて走る弟に必死でしがみついていた。

我が家の玄関につくやいなや、ひょいと下りた弟は
「やっぱ冬は寒いね。お風呂焚いてよ。今夜は泊まっていい?」

おねえちゃんは、冷凍庫でかちんかちんに固まっている食料品のようになっていて、バイクから降りられませんでした・・・。
だから言ったでしょ!


ピアノの上のクリスマス

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ピアノの上のクリスマスツリー
高校1年のとき、ピアノの先生を替えた。

そのころ60歳に手が届くぐらいだっただろうか。
手だけ見ると男の人顔負けのごつさなのに、夏でも冬でも花柄のかわいいブラウス、裸足で真っ赤なペティキュアをしていらした。
海外と取引をされている会社の社長さんがご主人だったからか、それとも昔ピアニストだったからか、毎年夏休み1ヶ月はほとんどヨーロッパで過ごされる。そして敬虔なクリスチャンだった。

習い出して初めての12月。
レッスン室に入ったら、でーんと部屋の真ん中においてあるグランドピアノの上に、ところ狭しと何かきれいな色のものがのっている。
近づいてみると、クリスマスカード。封をあけて、カードの文がよく見えるように置いてある。もっとよく見ると、いろいろな国の言葉で書かれていた。

「先生のお知り合いからですか?」
少しも嫌味なところなく、うふふ、と笑いながら
「すてきでしょ。カードをいただくと、お元気なのねって思うの」


今年5月に買った私のグランドピアノ。置いてあるのは小さなクリスマスツリー。これを置きながら、ちょっとうきうきした気持ちの、昭和40年代ヨーロッパが遠かった時代の、12月のレッスンを思い出した。


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2008年7月

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